シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

何かを感じるのに許可はいらないのに

先日、メールのやりとりをしている友人が自分のことしか書いてよこさないので、相手にとって、自分は「どうでもいい人」(配慮の必要な相手)ではなくなったんだな~とぼやきました。

このことは、今でも私の中で引っかかっています。
今も腹は立っています。

会って話す場合、挨拶くらいするよね?
相手が、何か話題を出したら、すぐに自分が別の話をする場合も「ふ~ん」くらいは言うよね?
あなたは、相手がある話題を提示したのに、完全に無視して自分の話だけし続けてるって分かってる?
もしかして、「いい友達付き合いが続いている」なんて思ってるわけ?


そもそも、どこで自分が切れたんだろうとメールを読み返してみました。
もともとそういう人だと分かっているのに、何かがぷっつり切れたのはなぜだろう。

私が近況や今後のことを書いたのに、相手が完全無視したことが2回続いたからでした。
その近況の一つがわんこを予約した話で、友人も私が亡きわんこを大事にしていたこととか、年単位で迷って次のわんこを迎える決心をしたことは知っているので、リアクションが全くなかったことに、正直がっかりして、傷ついたようです。
それで、私側のことを全く書かないやり取りをしたらどうなるのか実験したようです。


ここで、”ようです”と表現してしまう状態が、まだまだACだなぁ、「嫌だ」も「嬉しい」もあるがままに感じていいのに、未だに許可が必要だと思っているんだ…と、今の自分に少々がっくりでもあります。
その場ですんなり「こう思った・感じた」にならない・・・。それは許されていないと思っているのです。
多くの人は、何を言っているのか分からないでしょうね。
「腹が立った」なら、その通りじゃないの?でしょうから。

じっくり思い返すと、無視が続いたとき、腹が立ちました。「礼儀がなってない」「なんだこいつは」です。
これは、いいも悪いもなく、湧き上がってきた正直な気持ちなのに、次の瞬間には、「ここで腹を立ててもいいんだろうか?」と考えていた気がします。
相手を責める言動に出るつもりなら、「自分に正当性があるのか」を吟味するのはいいことです。
後から実は自分の言い分の方がおかしかったと気付いた時の気まずさや恥ずかしさ、相手を不快にさせた申し訳なさを回避できますから。

そうではなく、自分には腹を立てる権利がないような気がしていたのです。腹が立つ、という感情を持つこと自体が許されていない感じ。
他の人が同じことをされて腹を立てても、「そう思ったんだ~。まぁ、そうだろうね」と思うのに、自分にはそれが許されていない気がする。・・・・こういうのが、自分には生存許可証がないとか、どうせ見捨てられるとか、生死に関わる大切なことを他の存在に牛耳られていて、自分は無力でされるがままでいるしか選択肢がないと感じていて、それがすごく辛いこととかに繋がっている気がします。

   
勝手に期待して、相手の反応がないからがっかりして、バカみたいな一人相撲だ、とも思いました。
だから、期待した自分が悪い、と。
これも、反応を期待した特定の話題に返事がなくてがっかりしたなら、一人相撲だったな、と思いますが、こちらのこと全てを完全無視なのは違うと思います。
相手の独り言を聞かされているだけで、コミュニケーションがない。これをおかしいと思う自分を肯定して受け入れるのに、また数日かかりました。

誰かとの関係において、関係をどのくらいの濃さで続けるのか、止めるのかの選択権は、自分も相手と同じだけあるのに、相手にしかない前提で反射的な思考が展開します。
「いやいや、違うんじゃないの」と自分に呼びかけ、思い返し、「うん、違うよ、同等だよ」と納得して受け入れるのに、やたら時間とエネルギーが必要です。

これは親子関係から来ているのは明白です。

今後のこの人とのお付き合いは、う~ん、フェードアウトかなぁ。
長い付き合いだったから、さくっと切り捨てる決心はまだつかないけど、私の中で何かが切れてしまって、以前のような親しい付き合いは無理な気がします。
相手も、無意識では私のことは”どうでもいい人” or ”どう扱ってもいい人”だと思っているようなので、刺激せずにフェードアウトしたら、気づかない気がします。
「あれ?そういえば、最近メール来ないな」程度かな。

これは、寝かせておけば自然に答えの形に収束していくでしょうから、そっとしておこう。


こういう自分なのは、仕方ないなぁ。
でも、何かにつけて時間がかかるし、ゆっくり考えたり、感じたりしたいから、なるべく生活をゆる~くしておきたいです。