シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

頼れる人がいる、というお守りの有無

今週で「傾聴セミナー」も終了。ちょっとさみしいです。
傾聴はもう少し学んでみたいな、と思いました。
相手をありのままに受け止めて聴く、というのは、かなり難しいです。
アドバイスモードになるのは自制できても、つい、感想を言いたくなったり、自分の体験談を話したくなったり、気がそれて聴き損なったり。
聴きながら、相手が言いたいことは何かにフォーカスすることはもちろん大切ですが、聴きながら、自分がどう感じているか、どういう考えが浮かんだか、を把握しながら、でも、やたらとそれを外に出さずに(出す場合も、タイミングを見て)、聴き続けるには集中力も必要で、結構疲れました。


最終回でも、私の毒親話を聴いてもらい、気持ちの整理がまた一つついた気がします。

今回話したのは、日ごろは、「子供が一番大事。困ったことがあったら、助けてあげるからすぐに相談しなさい。」と言いながら、実際に何か相談すると、「お前が悪い、お前の我慢が足りない、工夫が足りない、そういう風に感じるのはお前がおかしいからだ・・・」とあしらって、助けないどころか、嘲笑って、私が困っているのを優越感に浸って放置。
                      ・・・・これを、人生の中で何度もやられた話をしました。

聞き手は60代男性でしたが、「いざという時に頼れる存在が旦那さんしかいなくて、辛いというか、何というか、そういうしんどさを抱えてどうやって過ごしているんだろう・・・と思いながら聞いていました。」 と言われました。

この方は、ご両親はすでに他界しているそうですが、生前、日ごろは頭ごなしに説教したりしていても、困った時には助けてもらえると思っていたし、実際に助けてもらったこともあったそうです。
今は、きょうだいとは付き合いは薄くても、「いざという時は助け合う仲だ」という感覚はあるそうです。
そういう「セイフティ―ネット。よりどころがある安心感」なく生きていくのはかなりしんどいだろうと、私に対して思ったそうです。

ざっくり伺った範囲では、この方は、顧問として残ってくれと言われるくらい有能で、社内での地位もあって、妻子もいて、きょうだいとも不仲でもなく、プロフィールだけで判断すると、「いろいろ苦労もあったけど、それなりに社会からも認められて、胸を張っていられるだけのことはしてきた」と、自分の頑張りや力を信じることが出来ている感じでした。
苦労はあったけど、転落・崩壊せずに(途中で困難があったとしても、現在は持ち直している)人生歩んできた人でも、「いざという時は、親兄弟も頼れる」という”お守り”の力が身にしみているわけで、それがない状態どころか、親は自分の足を引っ張り、不幸を喜ぶ存在だというのは、生きる上で、かなりのハンディなんだな、と改めて思いました。

しかも、「成人したら自分のことは自分でやれ。私たちも、一切迷惑・手間・暇・お金は子供にかけさせないから。」という方針なら、「これが私の家族の形なんだね」と受け入れますが、彼らは、「お前のことは助けないが、私たちに仕えろ。」ですからね・・・。

あれが私の親だからどんなに私が嫌でも取り替えられないけど、もう付き合えないと絶縁する自由くらいは堂々と行使していいんだな、と思えました。
私が日頃苦手にしている年上の男性に言われたから、余計なのかも。

今は、「こんなやり方で相手を貶めたり、見捨てたりするのは”家族”じゃない。」と確信していますが、他人に言ってもらうと、「私はこのくらい酷い状況にいるらしい」と立ち位置が確認できて、心が軽くなりました。



セミナーを通して、他人のことをすぐに判断せずに、ゆっくり見る心のゆとりも大切だと思いました。
他の方の話も色々伺って、「こういう一面があるんだ」と発見も多く、第一印象は当てにならないとも感じました。
○×つけたり、採点したりせずに、ゆる~く観察しながら、ご縁のある範囲のお付き合いをすればいいのかも。