傾聴の講座に通っていますが、傾聴スキルの向上より、毒親問題の方にいい影響がありました。
お互いの話を聞きながら、実践練習をするので、私は毒親の話をしています。
前回は、「病気の時に見捨てられた話」「思いやりは、”オプション”だから、求めるのはわがままだと思い込んでいた話」「わんこがオプションじゃないと教えてくれた話」などをしました。
「あぁ~、それは辛かったですね。」というスタンスで聞いてもらえて、やっと、「この件は手放せるかも」と思えました。
先日までは、カウンセリングに行くのもありだよね、と思っていましたが、多分、今回「手放せそうだ」と思えたのは、この講座限りのお付き合いの人・・・お金を払っているクライアントだから聞いてくれて当然とか、お互い話を聞きあっている友人だから、多少は聞いてくれると期待していいよね?という関係でない人・・・傾聴の練習とはいえ、聞き流してもいい立場の人・・・が、共感してくれたからだと思います。
相手が「それは辛いだろうね・・・」と思ってくれているのが伝わってきて、やっと、「辛かったってことを、分かってもらえた。あの時、辛い、苦しいと感じた私が悪いわけではなく、辛くなって当然の扱いを受けていたんだ。」と整理できて、これからは、徐々に「過去のこと」になっていくかもしれない、と思えました。
(本当にそうなるかは、まだわかりませんが)
これまで、否定したり、説教モードに入らず、話をそのまま聞いてくれた人は何人もいたけど、「それは辛かったね。」とか、「わだかまりが残っても仕方ないと思うよ。」とか、はっきり言ってもらったことはない気がします。(覚えていないだけかも、ですが…)
もう大丈夫になるかもしれないと思え始めた一番の理由は、「この場では否定される心配はないし、私が話す番の時は、一定時間(5分程度)は話を聞いてもらえる。」という安心できる場所だったから、自分の辛かった気持ちもちゃんと話せた、ということのような気がします。
いつもは、どうしても、「こんなに酷い親なんです!」と親の悪口に終始してしまい、親の言動で自分がどう感じたかを話せていなかった気がします。