シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

呪いの深さ

毒親の呪いは根深い。

一時は親のことはあまり思い出さなくなり、解決は出来ないものの、それはそれとしておいておける時間も増えていたのですが、わんこを亡くしてから、また、湧いて出ています。

わんこが旅立ったと知ったら、父親は大喜びで嘲ることでしょう。
まだ普通に付き合っていた頃の、私が何カ月も体調が悪くて困っていると知った時のあの喜びの声といったら! 一生耳に残ったままです。

祖母の葬儀で、「犬は死んだっちゃろ。」といったあの暴言もね・・・
今は特にわんこを亡くして寂しいので、ここまで言う人と、関わらなくてほんとにいいのか?なんて迷っていた自分を叱りつけたくなります。

母親は、「もう犬は飼わないんでしょ!(私の世話をしろ)」だな。多分。



今、精神的にはピンチな状態で、これまで自分はどうやって危機を乗り切ってきたのかな? と過去を探ると、親の嘲りが蘇ります。私が困っているときには、嘲って見捨ててきた人たちですから。
自分の危機の記憶と、その度に(100%そうだったわけではないですが)親に見捨てられて、余計嫌な思いや心細い思いをしたことがセットになっているのです。

   こう思い出すと、今後親がどうなろうと、関わってはいけないし、関わる必要なし、
   と、自分を励ますメッセージにも受け取れますが、
   油断すると、自分は価値が低く、寄る辺のない、もろい存在という感覚になって、
   精神衛生上、大変よろしくないです。



死別の体験談の本で、自分の親がどれだけ支えてくれたかという話などを読むと、ベースにこういう支えがある人はいいなぁ、とうらやましくなります。
こういう人は、たとえ親と死別した後でも、何かの時に心の支えになってくれる存在が心の中にしっかりあって、乗り越えていけるんだろうなぁ、と思ったり。
    ・・・・親とのつながりが強いと、親を亡くした時の衝撃や悲しみを乗り越えるのが大変、
                                    という一種の代償はあるのでしょうけど。



親との縁切りは、今となっては自分の気の持ちようだけです。
はっきり父親がそう言ったにも関わらず、向こうは絶縁したつもりはないし、おそらく私が実家に出向いて直接会って、「あなた方とは絶縁です!」と宣言しても、私が絶縁宣言した事実を認めさえしないでしょうから。(絶縁を受け入れる、入れない、以前の問題)

この問題も、これまで同様、行きつ戻りつしながら、落ち着いていくのでしょう。