同僚が最近亡くなったわんこの話を始めて、最初は「今はペットも家族同然だっていうからね。。。」と聞いていたけれど、話が長くなってくると、段々「もうやめて」になり、「ペットに死なれるより、大事な人に死なれる方がずっと哀しいのよ!!」と言ってやりたくなった、とありました。
この方は、その場ではうんと我慢して黙っていたそうです。
後になって、「自分が配偶者を亡くしたのは一年以上前だから、同僚にとっては”過去のこと”で、今の自分の悲しみに配慮はしないよね」と冷静に分析していました。
私が「う~ん」と思ったのは、一つは、ペットを亡くすより、大事な人に死なれる方が哀しくてつらい、という感覚。(この人はペットを飼ったことはないそうです)
いや、違うし。人それぞれだから。一般論ではあなたの感覚は”平均をとらえている=正しい”だろうけど、でも、違う!と大声で主張したい。
それに、たとえそうだとしても、ペットを亡くして悲しい気持ちを、より大きな悲しみを抱えている(であろう)人がその場にいるから言ってはいけない、という風にはなってほしくないです。
もう一つは、この人は亡き人のことを思い出して辛くなるから話を切り上げてほしかっただけでなく、配偶者を亡くしてから年単位の時間が経過してしまったので、親しくない人(同僚程度のつながり)の前では、悲しみや苦しさを表現できなくてしんどいのに、わんこを亡くした同僚は悲しみを打ち明けて周りに慰められているのに腹が立ったのもあるんだろうな・・・悲嘆の気持ちを出す場が、今の日本には少なすぎるっていうのはこういうことなんだな、と思って、切なくなりました。
私も今となってはわんこ仲間などには話せても、他の人には言いにくい。
相手も重い話は聞きたくないだろうな・・・というだけでなく、一年以上経っているので、いつまでもめそめそしているのは「理解不能」と思っているオーラを相手から出されるのが嫌なのです。
誰が悪いわけでもないのに、気持ちを安心して外に出せる場が少なすぎたり、同じ種類の悲しみを抱えた人同士でさえ、「悲しみ比べ」が起きたり、難しいな・・・と思います。
じゃあ、自分が他の人のフォローが出来るか、出来ているかというと、辛うじて、少しは助けになれているかも?というのはお人柄が分かっているわんこ仲間くらいです。
下手にじっくり話を聞いて、「この人は聞いてくれる」と寄りかかってこられるのは困る(時間と精神エネルギーを取られるから)と予防線を張ってしまうのもあります。これまで何度もあったので。
う~ん、です。