シンプルライフへの遠い道

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親の愛 について

「親に私への愛情があったのか」は私にとって、大きなことでした。
 
多少なりとも愛情があったと思いたかったし、
愛があるなら、絶縁するのは酷いかな?という迷いもあったし、
仮に愛情があったなら、どうしてああいう言動を続けてこられたのかな?と疑問でした。
 
あれは「親の愛」だよな~と思えることが皆無ではないのも、私を迷わせました。
「愛されている時」と「見捨てられている時」が予測不能に襲ってくるのが私の子供時代でした。
今冷静に振り返れば、それに法則はなく、「親の気まぐれ」です。
 
 
敢えて、今更な結論  「愛はなかった」 。
 
私がピンチの時、彼らが私を思いやって助けようとしてくれたことがないから、です。
 
体調不良のときだけではありません。
面倒だとか、火の粉が降りかかりそうだとか思うと、知らんぷりです。
 
最近では、夫実家のこともしかり。
 以前から、夫実家には時々連絡して交流を深めなさい、などと干渉していました。
 自分が上に立って説教できる時には、張り切って口を出します。
 
 義父の認知症だけだったら、
 「兄弟助け合ってお義父さんの世話をしなくちゃ。」とか説教したり、どうなっているのか経過を聞きたがったと思います。
 蓋を開けたら、以前から心の病と分かっていた義姉だけでなく、義兄も心の病で当てにならない&夫と私が将来世話をしなくてはいけないであろう、事がわかりました。
 
これはかなり大変・面倒だぞ、と分かった途端、面白いほど「黙殺」です。
 
 義母の死後、1,2年は、私の知らんぷりにもめげず、しつこく手紙をよこしたり、留守電にメッセージを残したりしていたのに、 夫実家については見事に一言も触れず。
 あの過干渉の親からすると不自然です。
 
もし、私が彼らとの付き合いを続けていたら、「夫実家も落ち着いた」と知ったら、
また親しげに付き合い・説教再開、なんだろうな~
 
 
自分のピンチ(余命いくばくもないと突然分かるとか、離婚問題浮上とか)を想像してみても、
親が優しい言葉をかけてくれるとは全く想像できません。
 
困った時は知らんぷりして、利用できそうな状況だったら近寄ってくる人たちに
少しでも愛があったと思いたかった自分・・・   トホホです。
 
 
とどめは、腹痛事件の思い出しと、わんこの不調が重なったことです。
少しでも優しい気持ちがあったなら、勝手に「重病じゃない」と判断して、介抱もせず様子見なんて出来ない、と自分の経験を通して、よ~く実感できました。
 
さすがにこれで諦めつくといいんですけど。