シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

これを愛(ラブ)などとは呼ばない (タフラブという快刀 信田さよ子著)

カウンセラーの信田さんの著書です。
臨床体験に裏付けられたお話にはいつも励まされます。
 
この本では、何度も自問してきたこと・・・
 
  私の親に愛はあったのか?
 
                        の答えを見つけました。 
 
       -------引用-------
 
相手が生きられるように、生きていくために、自分のもてる力をより発揮できるように、手
を出さない、手を貸さないというのがタフラブである。一方、「突き放す」「捨てる」のは、相手が死んでもかまわない、崩壊しても仕方ないと考え、何よりも自分が安楽であることを優先する。これを愛(ラブ)などとは呼ばない。
 
  ---------引用終わり---------
 
そう、私の親に愛はない。
はっきり、書いてあって、ホッとしました。
 
   何よりも自分が安楽であることを優先する。
 
                               本当にこの一言につきます。
 
彼らは、自分の安楽の為なら、彼らが”命を懸けて愛している”とのたまう大事な家族の、人生を左右するような大きなピンチも見事に黙殺します。
助けを求めても、「お前が悪い。」で終わり。
 
 
自分が面倒と思えば、約束を破っても謝りもせず知らん振り。
この程度はかわいいもの。
 
 
就職2年目で私は体調を壊しました。
今思えば、甘えもあったし、他にやり方もあったのですが、その時の私にはもうどん詰まりの状態。鬱になっていたのだと思います。
「仕事を辞め、実家に身を寄せて、薬剤師のバイトをしながら結婚準備をする」プランは、一蹴されました。
それも、「独立したのだから、簡単に実家をあてにするな。」
    「結婚準備中に破談になって、居候になっても困る。」ならわかります。
 (当時は納得できなくても、何年か経てば分かったでしょう)
 
 ・ストレスなんてどの職場でもある。
  お父さんはずっと胃薬の世話になりながら頑張ってきた。
 
 ・甘えだ。根性が足りない。
 
 ・仕事を辞めるなんてとんでもない。
 
要するに、「お前が悪い」で終わり。
○ヶ月たっても同じ気持ちなら、また話を聞いてやる、などの妥協案もなし。
 
思えば、学校も、習い事も、趣味でも、途中で投げ出したことはなかったです。
その私が辞めたいというのだから、大きなSOSだと感じて、じっくり話を聞く・・・ことすらなかった。
これはずっと消えないトラウマ事件です。
 
それが、「寿退職」に変わった途端、もろ手を挙げての大賛成(--;
結局、「娘が職場に馴染めず退職」=「娘が挫折」を受け止める度量がなかっただけ。
 
あの時、あのままずるずる調子を崩して、胃潰瘍で入院とか、鬱がひどくなり自殺、という結末になっても、「自分達も一生懸命励ましたりしていたのだか・・・」と言うだけだったでしょう。
 
 
夫実家のこともそうだ、と気付きました。
夫実家は、思いつめれば鬱になりそうな状況ですが、それについて、
「自分達は何も出来ないけど、二人で頑張れよ~」も一度もない。
 
去年のひな祭りに、義母が突然他界しました。
夫は三人兄弟。残された遺族は、重度の認知症の義父、精神障害者2級の義兄(当時は3級)と同じく精神障害者2級の義姉。
唯一の健常者が夫です。
 
葬儀の後、夫実家の状況を親に話しましたが、そのあと、一度も!お悔やみもなければ、突然母親を亡くして夫が沈んでないかと心配したり、夫実家の状況を聞かれたことはありません。
 
結婚後は、夫実家にマメに連絡しろだの、夫実家との付き合い方まであれこれ指図していた母が、全く、一言もなし。変です。
義母が他界した時は、香典袋の書き方から、御通夜に参列するヨメの心得まで説教した過干渉の母とは思えません。
 
姉婿のお父さんにたまたまお会いした時は、すぐに、「旦那さんのご実家が大変だそうで・・・」と、社交辞令でも話題にして心配してくれたというのに・・・
パート先の同僚ですら、「あなたのところはかなり大変よね」と気にしてくれるというのに。
 
母が亡くなる約半年前から、私は親と距離を取ろうとしていたので、そのせいかな?と思い込もうとしていました。
あるいは、義母の死後、「夫実家の世話が大変になるから、あなた方の老後はみません」と宣言したせいかな?と。
 
でも・・・
3月 義母他界
4月 母が姉宅に子守手伝いに来ると電話あり。
    このときも、会いたいとは言われた(勿論断った)が、それだけ。
5月 母の日プレゼントのお礼電話(留守電対応)
7月 父の日プレゼントお礼手紙が父から。(返事せず)
     寂しいからたまには電話をくれ、だの、
     3年前には回復している母のプチ欝はもう大丈夫だとか、自分の話だけ。
10月 11月に上京するので会いたい。(勿論お断り)
12月 11月の上京&旅行の写真が送られてくる。(届いたとだけ返事)
    添えられた手紙には近況だけ。
 
今年に入ってから
5月 GWに帰省した姉家族との写真が送られてきた。(返事はせず)
  
   (母の日・父の日のプレゼントは今年からなし。)
 
10月 母から電話&FAX(留守電対応)
    姉家族と旅行に行く話、祖母見舞いに行く話。
    猛暑見舞いの言葉はあったけど、夫実家のことはなにもなし。
 
こうやって整理すると、向うは私の知らんぷりを気付かないかのように、接触してきています。返事をしなくても、めげてない。
内容も、私の「老後の世話はしない宣言」を気にしている風もなし。
それどころか、どうでもいい近況や、治った宣言している母の欝はもう大丈夫だ、は何度も何度も出て来ます。(毎回かも)自分たちのことは気にして欲しいようです。
それなのに、見事に夫実家については一言もなし。
 
私の中では、ずっと「??」でした。
 
でも、何よりも自分が安楽であることを優先する。 これで納得。
 夫実家の状況は、誰が聞いても「大変」です。
 詳しく聞けば、「これからどうなるんだろう。こちらに火の粉が降りかかるんじゃないだろうか。解決の方法はあるんだろうか。」と不安になるので、聞かない。
 娘夫婦が、この重荷に耐え切れず潰れてしまうかも・・・ということより、
 自分達の心の平安が大切なのです。
 知らなければ、それは「起きていない事」ですから。
 自分の安楽を守るために、状況確認すらしない(おそらく姉には聞いて、好奇心は満たしている)。
 ここに 家族愛 はない。
 
たぶん、これが正解~~
 (事実でなくとも、私がこう解釈して納得したので、私にとっての”事実”)
 
ここで再確認。
 
 彼らに愛はない。
 金銭・労働力の借りはないので、彼らと付き合う義理もない。
 なので、彼らとは縁切り。
  
                 彼らに年賀状出すのもいやになってきたな~