シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

お墓探しがあまりにも辛い

来年4月の三回忌には納骨したいので、夫のお墓を探し中。

希望の条件も大体整理できています。

・アクセスの良さ

・ペットと一緒に入れる

・個別葬

・既に他で戒名をいただいていても入れる

・跡継ぎがいなくてもOK

 

頑張って、一件は資料請求しましたが、そのあと、動けていません。

 

なんでかな

 

やっぱり、夫が亡くなった現実を突きつけられるからかな・・・

夫の診断がついて、「遠からず夫は亡くなってしまう病気になりました」と、難病申請手続きするのもすごく辛かった。泣きました。

亡くなった後の手続きも辛かった。

自筆証書遺言の検認手続きのために、家庭裁判所に行った帰り道も泣いてたな・・・

理屈じゃなくて、辛いのだ。

具体的に何かを次々思い出すわけでもない。でも、しんどいのだ。

しょうがない。

 

連絡が途絶えた友人は、私がよくこういう話をするのが嫌になったんだろうな~と想像しています。「二人の生活のことも私に丸投げで嫌だった」とか、夫の悪口も言うのに、死んじゃって辛い、夫が好きだったアニメも見れないとかいうのは、理解できないと言われたなぁ。

最初の一年くらいは、しょうがないかな、と我慢して付き合ってくれていたんだろうな。ありがとう、友。一番辛い最初の一年、本当に助けてもらいました。

負担かけて、ごめんなさい。

 

今は周りにも、自分の辛さをあまり言わなくなりました。正確には、「言えなくなった」かな。

言えるのは、先輩未亡人の方々くらい。それも、うんと控えめに、ちょっとだけ。相手に負担になったり、どうしても暗い話題だからうんざりするかな‥と思ったり。

他の人だと、「どうせわかってもらえない、共感してもらうのは難しい」と思ってしまいます。自分もかつては分からなかったし、今も、ぼんやり想像できるくらいだから。

 

死別者ブログにすごく助けられています。

こんな自分がおかしいんじゃない、似た気持ちの仲間がいっぱいいる、と励まされます。

 

 

今朝はベッドの中で、「2年前に夫が入院した日が近づいてくるな~。通っていた心療内科で、メンタルの病気じゃなくて認知症のようだからとMRI検査を勧められて、若年性認知症に力を入れている病院を探して予約したな~。」とか、いろいろ思い出しました。

夫が入院した時、私も限界だったから、ほっとしました。

お互い一度離れた方がいいとも思ったし。私は辛かったし、夫は考える力もなくなってきてたけど、私に依存していた面も大きかったから。

 

そのあとは、ちょっと充電出来てきたかな、と思うと、次の展開がやってくる  の繰り返し。

入院して一週間くらいして、夫が発作を起こして失禁したり、硬直したりでおかしいからと脳神経内科を受診することになり。MRIでは異常がないからと追加検査を受けた11月。11月末に、「進行性核上性麻痺の疑い」と言われたけど、確定診断のための検査入院などは断られ、転院先を探し始め・・・入院していた精神科病院は転院先探しでは使い物にならず、自分で探し続け、消耗し。

何とか12月下旬に検査入院受け入れ先が見つかり、年明けに転院。転院後10日も経たないうちに、「診断はついていないけど、治療可能な病気でないことだけははっきりした」と連絡があり、絶望しながら療養先を探すことに。

表の診断は「進行性核上性麻痺」だったけど、担当医は「視床型のヤコブ病」と思っているようでした。私も説明を聞いて、今もそう思っています。

療養先は転院先の紹介ですぐに決まったけど、ずっといられるかと思ったら、「基本三か月」と言われるし、コロナでリモート面会すらできずに一か月たつし、やっとリモート面会出来たら、「嚥下がおかしくなってきて、病状の進行が速い」と言われるし…これからどうすればいいか、ずっと不安でした。

ぐるぐるしていたら、3月中旬、夫がコロナ院内感染。4月上旬、看取りの話になり、4月末にお別れでした。

 

ず~っと辛かったなぁ。不安だったなぁ。眠れなくなって、薬のお世話に今もなっています。

話を聞いてくれたり、相談に乗ってくれたり、食事やお茶に呼んでくれたり…周りの支えがあったから、何とか生き延びてきたけど、でもね・・・やっぱり辛かったですよ。ずっと。

 

私にとっては、「夫が亡くなって、お墓を探しています」の一言の中には、こういう辛い時間の負荷が今も潜んでいて、「三回忌には納骨も済ませて、区切りをつけたい」のも本音だけど、でも、やっぱり、しんどいな~ があるのです。

 

しょうがない。