シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

頑張りぬいた自分

今日は一日横になっていました。

 

この一年、本当に頑張ったな~。疲れが出るのも当たり前だな。

今後何年かは無理は禁物。大病しそうです。

 

この一年、色々あり過ぎて、精神的なダメージが半端なかったです。

夫に何が起こっているか分からなかったし、今後の生活の不安は膨らむばかり。

8kg痩せて、今は、「これ以上痩せるとまずいから」とアイスなどを食べています。

 

去年5月に夫が退職したいと言い出して、私が働こうと仕事を探したけどご縁なし。

一生懸命探したけど、ダメでした。面接してもらえそうだった所からも断られ、心が折れました。

その後は、自分も不眠&鬱っぽくなって、ひきこもりに。微熱も続いて体調も悪かったです。そんな中でも、少しずつ断捨離しました。当時は夫はうつ病と診断されていたので、うつ病本やネットでの闘病記などもたくさん読みました。

夫の症状とは何だか違うんだよな・・・でも、こっちじゃないの?という病気も見つからず。肝心の夫本人は気力がどんどんなくなって、食事の時以外はベッドで横になっている時間が長くなっていきました。

私のメンタルもどんどんおかしくなって、わんことベランダに出ては、「飛び降りたら楽になるな・・・でも、わんこを残してはいけない」とぼんやり考える日々。

10月半ばに入院してから、夫は急に車椅子、オムツになって、認知機能はどんどん低下していくし、途方にくれました。夫は家に帰りたがっていたけど、どう考えても自分一人で世話はできない・・・。夫を見捨てているようで罪悪感が強かったけど、夫と自分二人ともが生き延びる妥協点はどうしても「夫の入院継続」でした。

 

11月末に進行性核上性麻痺と病院で言われたけど、治療可能な他の病気ではないかの診断をするための検査はしてもらえず、転院先探し。当時入院していたのが精神科だったせいもあり、検査入院させてくれる病院は紹介してもらえず、自分で探しました。

幸い、年明けに、詳しく調べてもらえる病院に転院できました。転院して10日目くらいに、「確定診断はついていないけど、治療できる病気でないことははっきりした」と言われました。

もう治らないのかな・・・と思いつつも、心の奥底では、夫の回復を願っていた私。

どう気持ちを持って行けばいいのか、当惑するばかり。でも、すぐに転院してくれと言われるし、予期悲嘆に浸ってもいられず。

 

1月末に療養型の病院に移れたけど、今度はコロナで2月はリモート面会すらできませんでした。差し入れの時に、看護師さんから様子を聞くだけ・・・。

3月初旬にやっとリモート面会できて、割と元気そうでほっとしたのもつかの間、コロナ感染⇒嚥下障害進行⇒看取りの話になりました。

コロナで会えないから、在宅看取りを提案されたけど、自分に痰の吸引ができるのか?いくら介護や看護サービスをいれるとはいえ、一人で夫の世話ができるのか?

とても無理だという思いと、会えないままお別れは嫌だという気持ちの間で揺れました。生前戒名をつけてもらったり、葬儀屋さんに相談に行ったり、自分の今後の生活の場を探すため、マンションを見に行ったり。動く中で、会えないまま別れになったら、自分の気持ちの整理がつかないと悟り、腹を括って連れて帰ることにしたのが4月半ば。10日後に退院して夫は半年ぶりに家に戻りました。たった5日だったけど、一緒にいられて、最期は看取れてよかったです。

 

葬儀や最低限の役所手続きを終えて、これから山盛りの手続き、家探し、相続税申告。

 

よろめきながらも、周りの支えで、何とかここまでたどり着けました。

でも、先も長い・・・。

 

この一年、本当によく頑張ったね、と自分に言いたい。

夫の辛さを考えることが多いけど、でも、私もずっと辛かったし、不安で、心細かったです。

 

これから一人でどうやって生きていけばいいのか・・・考えないようにしています。

とりあえず、支えてくれる人たちがいて、

      当面の生活費はあって、

      昨日仕事の目処もつきました。

自分をいたわりつつ、一歩ずつ進んでいけば、気が付いたときには新しい風景の中にいるに違いない。