シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

宣告から一か月。あまりに辛い。

夫が「治療可能な病気ではないことだけははっきりしました」と言われて丁度一か月です。あまりに辛くて、苦しいです。予期悲嘆なんだろうな・・・ということしか分かりません。

 

夫の転院先の拘束のことも説明を聞いてある程度納得できて、夫は転院先で穏やかに過ごせているようだし、介護保険や難病の申請手続きも進んでいるし、今は目の前には大きな不安材料はないのに、先週、難病申請をしてから、気持ちが潰れそうな日々が続いています。

ずっと胸が締め付けられるような感じ。「○○だったらどうしよう」と言葉は浮かんでこないのに。

夫は助からない病気です、と届を出した感じがして、現実がついに「我がこと」になってしまったのかな・・・。

 

 

現実の状況は、夫が病気になったこと以外は、不幸中の幸いな状態ではあります。そのこと自体は、ありがたいことなのですが、余計予期悲嘆が前面に出てくるのかも。

夫の病気の患者さんをよく診ている病院に転院できたので、次は施設に、となっても、夫の病気に対応できるところを紹介してもらえる可能性はあるかな、とちょっと期待・安心。

自分の仕事も、細々とでも続いています。今は、続いていること、わずかでも収入があることが大事です。今すぐに仕事を増やす状況ではないですし。

友人やわんこ仲間、姉も支えてくれます。わんこの存在もとても大きいです。わんこはまだ若くて元気なので、病気の心配は低いです。

診断がついたことで、お金の心配もかなり減りました。2年半後までは、会社の補助や傷病手当があります。その後、夫60歳までは所得補償保険がもらえそうです。(認知症ではもらえないと知った時のショックと言ったら!)少なくとも、夫を看取ったはいいけど、文無し、は避けられそうです。

自分もまだそこそこ動ける。

 

 

これまでの緊張・不安⇒少しほっとする⇒また別の緊張・不安⇒少しほっとする の繰り返しに、メンタル削られているのもあるんだろうな。

 

夫が発病してから、「どうしてこんな症状なのだろう?何が起こっているの?どうなっていくの?」とずっと不安でした。

10月半ばに夫が入院してからは、少しずつ検査を受けて、11月末に「進行性核上性麻痺の疑い」と言われました。12月に確定診断をつけてもらう為の転院先を探し、1月に転院して検査。1月半ばに「治らない=いずれ亡くなる」と言われ、転院先探し。1月末に療養できる病院に転院しました。

 

乱暴に分ければ、1月半ばまでは「確定診断を求める日々」だったのが、その後は「夫の看取りに向かう日々」になってしまい、この変化についていけないんだろうな。

 

 

仕方ない。仕方ないけど、辛い。辛いのも仕方ない・・・。

 

こればかりは、自分をいたわりつつ、天に任せて、時間が癒してくれるのを待つしかなさそうです。

そうと分かっていても、「自分の努力・工夫が足りなかった、選択が間違っていたからここまで苦しいのだ」という毒母の呪いが発動してきて、しんどい。

自分はそんな大した存在じゃない。ほとんどのことには無力だもの。

 

全てを”おおいなるもの”にうち任せて、自分にできることに集中できるようになりますように。