シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

モタさんの死の心得 骨は自分で拾えない 斎藤茂太著

2000年出版の本なので、話の元になっている寿命などのデータやアンケート内容はちょっと古い感はありますが、モタさんの優しい語り口に、ふむふむ、と読めました。(モタさんは精神科医

 

からだのケアや運動をして、中庸を心掛け、欲張らず・・・という、よく言われることや、死への恐怖のあれこれなど、内容はどこかで聞いた話の寄せ集めと言えなくはないですが、結局、死んで戻ってきた人はいないので、「死」は分からないし、本能的に死にたくないのが生き物の基本だということから考えれば、古今東西、平均的な庶民が心がける意味があることは、大体同じところに集約される、ということでしょうか。

 

モタさんのお母さんは明治生まれ。夫の死後、30年位寡婦として暮らす間、あちこち海外旅行にも行き、”今”を楽しんで生き切ったそうです。周りはそういうお母さんに振り回されて疲れた面もあったそうですが、鬱になったり、怒りや恨みを育ててしまうよりは、自分もこう過ごせたらいいな~とは思う。

 

懐かしいきんさん、ぎんさんの話もありました。

きんさんは100歳を超えてボケかけたことがあったけど、足裏を鍛えて(よく歩いたりしたのでしょうか?)本当にボケてしまうことを回避したそうです。

そうか、足裏マッサージを続けることにも意味があるかも、とやる気をもらいました。

 

 

自分自身のことを考えると、パートを辞めたのは正解でした。それでもまだまだ多すぎる。欲も、タスクと思っていることも、食事の量も、何もかも。

自分を労わったり、いい加減でもいいや~と緩めたり、自然のリズムを感じ取ろうとするアンテナを張る時間などは足りていません。

 

仏陀の教えの通り、「死」は分からないから、考えてもしょうがないのかも。

でも、「私がいつ死んでも、大丈夫」という物質的な準備が出来ているという安心感があったら、多少は心安らかになるだろうという予感はあるので、此方には取り組み続けようと思います。