シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

コロナ時代を生きるヒント 鎌田實著

雑誌連載「輝く人生の終い方」に加筆・修正して出版されたそうで、内容は、コロナ云々ではなく、死について。内容はいいのに、書名と内容が合っていないと感じました。

 

死について、死別について、自分の死生観について考えてみませんか?という問いかけで溢れていて、自分だったらどうかな~とか、先代犬との別れの時はああだったな~とか、色々考えながら読みました。

 

辛かったのは、親絡み。

看取りの話になると、誰かが亡くなる直前に、疎遠になっていた子供と気持ちが通じたとか、そういう話が出てきます。・・・でもね。たとえ私が今の私にできる最高の優しさと思いやりで寄り添っても、あの人たちとは通じませんよ・・・相変わらずの嘲笑・貶めにあい、利用され、惨めな哀しさ、徒労で終わる以外の別れがイメージできない・・・。まぁ、向こうが、私が誰かも分からないほどボケてたら、多少は違うのかもしれませんが。

「あぁ、人間、生きたように死んでいくんだな・・・」で終わる気がする。

万一の可能性に賭ける気はもうないのですが、幼い時に、親に愛されて見守られた記憶が薄いのと同様、老いた両親の手を取って、ありがとうと言いながら別れることも出来ないんだな・・・と虚しくなります。物理的には可能でしょうが、心が通じ合ったという手応えや実感はないでしょう。それが可能なら、すでに和解しているでしょうから。

 

看取りの家、東日本大震災後の幽霊の話、沖縄のシャーマニズム、自身が癌になった緩和ケア医のインタビューなど内容は多岐に渡っています。

読後感として、私自身は、「魂があると思っている」方に近いんだな~と感じました。ある、とはっきりは思ってもいないけど、どちらかというと、ある、かな、と。

じゃあ、死んだら亡きわんこに会いたいと思っているかというと・・・会えるのなら会いたいけど、そういう再会の叶う世界があるという感覚は薄いようです。

でも、亡きわんこが今のわんこを見守っていて欲しいとか、見守ってくれているとは勝手に思っていたりします。

他の人がどうかは分かりませんが、割とあやふやで、ぼんやりしたものですが、魂とか死後の世界については、実際のところは分からないのだから、何となくのままでいいのかな・・・という気がしています。

 

介護や看病を受ける期間がある場合、自分が死ぬ前、どういうところで、どんな風に過ごしたいんだろう?と思うと、自分を受け入れてくれる優しい人達に世話をしてもらって過ごしたい、というのはあります。

でも、それはご縁もあるので、出来ないことや希望通りでないことがどんどん増えても、それを受け入れて、”まぁ、悪くないかな”と解釈できるような、いつも微笑んでいるお地蔵さんな気持ちでいられるようになれたらいいな、と思っているかな?

果てしない修業が必要です(^_^;)

 

コロナについては、規則正しい生活で免疫力を保持しよう、かな。