シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

毒親への復讐は成っていた・・・と思うことにして、次へ行こう

あの人たちが自分が毒親だと自覚することは諦めていますが、せめて私に嫌われて、私は戻ってこないことだけは自覚して、可能ならちょっとは老い先を心細く思ってほしいと長年思っていました。

別に、経済的に困窮して困れとか、病苦に苦しめとは思いませんが、娘に嫌われたことくらいはっきり自覚しろよ、と思ってきました。

親が困った時に駆けつけて、私が親の手を握って励ましたり、これまでありがとうとか、大好きだよ、と言うことはないと認識してほしい。

でも、無理だな~。通じてないな~。今は疎遠でも、何かあれば、自由に使える奴隷だと未だに思っていそうだな~と思ってきましたが、もしかすると少しだけ違うのかも。

 

 

私が自分が精神的虐待を受けて育ち、多くの生きづらさが親の言動から来ていることに気づいて、徐々に親と距離を取るようになりました。が、親の方は全く気付いていないのか、気づかないふりをしているのか、相変わらずの対応が10年近く続きました。

最終的には絶縁し、その後も親から届いていた年賀状を受け取り拒否。

やっと親からの接触がなくなりました。年賀状受け取り拒否が3年前。去年と今年は年賀状は来ていません。

が、2019年夏に、姉を通じて写真を送ってきました。(これまでの姉と自分の関係や、姉の性格から想像して、父親が姉に頼んだと私は思っています)

 

そうやってまで、自分の存在を私にアピールする行動は、寂しかったり、心細かったりすることがたまにでもある証拠なのかも。もしそうなら、少しはいつも親は助けてくれないと心の奥底で感じてきたこれまでの私の心細い半生も、少しは報われたかも。違う形で向こうがそれを感じているのなら。

こうやって文字にすると、増々虚しくなりますが、これが私自身の今の精神成熟度の限界だし、私の親子関係の現実です。

 

物事は解釈次第。

夫婦のどちらかが危篤になっても私が来ないとまでは思っていないかもしれませんが、少なくとも生き死にの問題が浮上しない間は、こちらから接触してくることはないと少しは感じているらしい、ということにしました。

子供たちに対して何か非があったのかも、とは全く考えない人たちですが、母親の妹たちは、子ども家族と同居したり、近くに引っ越したり、子どもを頼りながらの人生の最終章準備をしているのを見聞きして、3人も子供を育てたのに、その選択肢がない自分を振り返って、思っていたのと違った、とは思っているでしょう。(私の中で勝手にそういうことにしておこう)

 

もう、これでいいかな。

 

何だか訳が分からない理由で、子どもが離れてしまい、気づけば頼る相手が一人(姉だけ:姉は情に厚くはないので、精神的フォローは期待薄)になっている。あれ?おかしいな。変だな。

 

位は感じているでしょうから。これでいいや。これで私の復讐も終わり。

これで満足。

 

 

 

そして、私は次へ行こう。今度こそ。