シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

最近の”私の毒親問題”

同じところをぐるぐる回っているだけのような気にもなる毒親問題&自分がACであることの問題。

 

少しずつは変化しています。毒親の生態を扱った本や情報に接する必要が殆どなくなりました。

自分の中で、自分の両親が毒親で、自分の心身の健康と幸せのためには今後接触することは出来ない(する気もない)し、私がそう思っても仕方ないことをされてきたという認識が揺らがなくなったからのようです。

たまに思い出すと、やっぱり腹が立つのですが、あまり持続しません。

 

以前は、こうやって私が距離を取っても、両親は自分たちに何かあったら助けてもらえると能天気に思っているのだろうと考えていましたが、それも違うかも?と思い始めました。

今年の夏、姉から親の写真が送られてきました。これまで私からのプレゼントやお祝いのお礼以外の理由で姉が画像を送ってきたことはないので、おそらく親(父親)が頼んだのだと思います。

今年の正月に年賀状を受け取り拒否されて、こういう形で存在アピールするしかなくなったのでしょう。

確認する方法はありませんが、多少は私の本気度が伝わったようだ、と解釈しています。

来年の年賀状が来なかったら、私にとっては、現時点ではかなりいい関係になっている(親から接触してこない状態)になります。どうかな・・・。そうなって欲しいです。

 

残る問題は、私の生きづらさ方面です。

体験して学ぶしかないと頑張って働き続けてはいますが、人間という種への違和感や不信感、見捨てられ不安などが和らいでいる手ごたえは殆どありません。手ごたえが全くないわけじゃないし、悪化はしていないという程度。

これは原因は親だけど、自分で何とかするしかないので、試行錯誤が続きます。

 

一つの問題が軽くなってきたと思うと、次の問題が顔を出すので、時々くじけそうになります。目標点を目指すというより、元の状態(親から精神支配を受け、被害妄想や見捨てられ不安などで一人ストレスをためて自滅する方向に歩む状態)に戻らないよう、試行錯誤を死ぬまで続けると思う方がいいのかも。

 

こういう心の問題が、日常生活に支障がない程度に軽くなった人の体験談はあっても、心がスッキリ晴れました!な話は見聞きしたことがないです。

過去は変えられず、その記憶が残るので仕方ないのか、何か方法があるのか知りたい。

認知症になっても無理だと思います。起こった事件は忘れても、人という種への基本的な構えが自然に変化するとは思えません。それどころか、不信感の塊になって更におかしくなるかも。

 

生きづらさを軽くするのが今後の目標の一つです。

まぁ、10年以上頑張ってここまで来たんだなぁ、という感慨はあります。

10年後に、「この10年でここまで来たんだなあ」と思えたらいいなぁ。