シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

話が行ったり来たり

昨夜、義兄から「明日病院に説明を聞きに行く」と電話があったので、成年後見人さんにフォロー依頼の連絡をしました。

で、明かになった事実は、
「義兄が義父のお見舞いに行ったら、末梢点滴が難しくなっていた。義兄が弟(夫)と成年後見人さんに、そのことを電話で知らせた。死が近いという義兄の予想付きで。病院からの説明予定はない」
                                                という事でした。

義兄の記憶や自分の考えと病院で言われたことが混乱しているようです。
義兄は混乱の程度が大きいので、聞く方は時々訳が分からなくなり困るのですが、健常者でもかなり自分の思い込みで味付けして話すので、伝言ゲームで10人後には全く違った話になっているのと同じことが起こるなぁ、と思います。
私自身もしかり。
後からメールの履歴や自分の記録メモを確認すると、事実誤認が結構沢山あって驚きます。

今回も、「太もも血管からのルート確保処置前は病院から再度説明がある」と思い込んでいましたが、そういう記録はなく、敢えて言えば、転院の時に病院に提出した書類に、ルート確保処置の同意サインがあり、そこには、「事前説明をする場合もあれば、現場の判断で処置をすることもある」とありました。
私は、「事前説明をする場合もある」の部分を、「事前説明がある」と変形させて覚えていたようです。
時々事実確認をするのは大事です。


成年後見人さんがいて、義兄の言っていることの真偽の程度を確かめられるので、義兄にイラつかずに済んでいます。義兄の話は支離滅裂ではないので、どこが本当で、どこが違うかの見極めは難しいです。

健常者の身内どうしてあれこれ連絡していたら、段々ずれが生じるだろうし、そのずれが、義兄の場合のように大きくないので、何か違うんじゃないの?と気づきにくくて厄介だろうな…と思います。
それで消耗したり、仲たがいしたりもするんだろうな…。
三者が間に入っていることの意味は、こういう”伝言ゲームでの事実からの乖離防止”にもあるんだな、と思う今日この頃です。

その都度書面に残しても、それを一度見直してから考える&動く人って少ないからなぁ。