シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

1週間で8割捨てる技術 筆子著

読むのも、感想を書くのも2回目です。
筆子さんのブログはほぼ毎日読んでいます。
思考回路が近いのか、言葉がスムーズに下りてくるので、数年来のブログファン。

こういう「片付け本」を読む時間を捨て作業に当てなよ、というもう一人の自分声はそれとして、やる気をもらうため再読書。

今回心に残ったのは…
心の準備
 準備1 捨てる決意をして、自分は必ず捨てられると、自分を信じること
        私には痛い一言。「自分を信じる」のは難しいです。
        ですが、20年近く放置した家計簿まとめもやったし、
        再就職してからはたとえ1日5分でも毎日薬の勉強は続けているから、出来るはず。

 準備2 なぜ自分がモノを捨てるのか、捨てる目的や理由を明確にすること
        病気になって今の3割しか動けなくなり、その延長線上に死が見えていても、
        「あぁ、あれもこれも片づけてからでないと…」と思わなくていいようにしておきたい。

 準備3 捨てたらどんないいことがるのか、メリットについて考えておくこと
         心の片隅には、「メリットあるのかな?」「あるけど、小さいよね?」という声があります。
        会社の独身寮にいた頃は、ミニマリストではないけれど、シンプルライフと言えるくらい
        には物はかなり少なかったのに、幸福度は低かったせいだと思います。
        あの頃幸福度が低かったのは、働くことが苦痛だったからなのですが。
        今、少しは減った場所(例えば食器)を思うと、気持ちが軽いから、やっぱり不要なものは
        手放した方が幸福度は上がる、が正解。
        断捨離は苦しいトンネルも通らなくてはいけないので、逃げているようです。


【思い出の品の処分について】
私も娘が小さかったころの写真を見て、「あの頃はかわいかったなぁ」と感慨にふけることがあります。しかし、写真の中の娘がどんなにかわいくても、現在17歳のリアルな娘の存在感には負けるのです。

全てを言い表している気がします。結局は「今」なのです。
楽しかった旅行の写真を見ると、「楽しかったなぁ。この写真は捨てがたい」と思うのですが、思い出すきっかけになる数枚があれば十分。
わんこの写真も、今は涙なしに見ることができますが、昔の写真を取り出してじっくり見ることはありません。デジタルデータでも同じ。
ベストショット集(アルバム)があれば、折に触れ見返すのでしょうが・・・。それも、数冊なら楽しく見るでしょうが、数十冊だと見ないだろうな、と思います。
思い出の品がなくても、写真が数枚しかなくても(写真が全くないと寂しいです)、わんこの思い出は心の中の大事な場所に沢山あって、いつでも取り出し可能です。
逆に、物を保存しておかないと思い出せないようなことは、捨ててしまって、これからの思い出をしまう場所として空けた方がいいと思うようになりました。・・・・まだ、思い切れていない部分もありますが・・・。

・思い出の品は、少数精鋭の宝物だけにした方が、一つ一つに結びつく思い出を大事にできる
沢山あったら、その中の宝物も含めて全てがガラクタになる。私は面倒くさがりで、細かくチェックし記憶をたどることすらしない。

・あるのは「今」だけ。