自分で自分にあれこれ言ってみたりもするのですが、なかなか染みついた自己否定感は減りません。
それが苦しい今日この頃。
たとえば、
「わんこの病気は、(簡単な検査で分かるものは)症状が出る前に、発見・治療開始が一番」と思っているし、見聞きするお友達わんこの病気でも、自分のわんこの病気でも、この考えは正しいと思って、気になることは早めに獣医さんに相談しています。
自分でも、まめにやってるな~とプラス評価していることの一つです。
それなのに、「犬にそこまでよくやるわ」
「動物なんだから自然が一番(理解不能・理不尽な屁理屈)」
「犬に入れ込んでるよね~(あなたには犬しかないんでしょ。お気の毒)」
こういう批判がちらついて、素直に、「私の飼い方はこれでいいんだ」に落ち着きません。
(こういう失礼なことを言うのは”友達”ではない、とるに足りない人たちか、親くらいのものなのですが)
実際には、「すごく手をかけているから、年取っても元気よね」
「こうやって早めに連れてきてくれれば、すぐ治るんですけどね」(動物病院にて)
「これほど大事にされて、わんちゃん幸せね」
と、肯定的に言ってくれる人も大勢いるし、こちらの方が断然多く耳に入ります。
問題は、否定的なことを言う人ではなく、否定的な言葉が深く心に刻まれてしまい、そちらがすぐに思い出されて、肯定的な言葉は意識しないと思い出せない(だから余計自分をOKと思えない)自分の心のシステムにあるのだと思います。
ずーっと親にケチを付けられる恐怖・緊張感の中で育った後遺症なのは分かっているのですが、
なかなか克服に結びつきません。
心が元気な時は、
「否定的なことを言う人もいるけど、それはその人の意見に過ぎない。そもそも、私の人生、他人の意見を聞く必要はない」
と思い直して、励ましてくれる人の顔を思い浮かべたりもできるのですが、気持ちも体も弱っている時(本当はプラスの励ましが一番必要な時)ほど、否定的な言葉や、親がケチを付けようと見張っているような感覚が付きまとって、気分は下がり、凹みモードになっていきます。
こういう風に、頭では分かっているけど、嫌な感覚や思考回路から抜け出せない時、
こんなものを植え付けた親への怒りや嫌悪も再燃します。
この再燃も、回復の妨げになっているのは分かっているのですが、なかなか止まらず・・・
「あぁ、私って駄目だな~」な自己否定に向かわせる力が何重にも働くので、余計太刀打ちできる気がしなくなってきます。
これも根深い問題で、「ちょっと楽になったな」と思える日は遠そうです。
まぁ、こうやって現状が以前よりもさらにはっきり見えてきたのをいい兆候だと思うようにしよう。