シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

買い物病を考える その2

今月もあれこれ買ってしまいました。
 
どうして買うのか、は考えてきたけれど、買ったものをうまく生かせないのはなぜか、はあまり考えてきませんでした。新しい切り口として考えてみよう・・・。
 
「自分の好きな、いい品が欲しい。」と思いつつ、
「自分には好みでない、いまいち品質のものがふさわしい。」or「本当に欲しいものは手に入らない。」という思い込みもあるようです。
 
で、せっかく買ったのに、しまいこんで使わないことばかり。
 
 
姪は、もらったおもちゃはその場で開けて、消耗品もじゃんじゃん使って遊んでいました。
かつての自分との違いに、愕然としました。
姪は今遊びたいから遊ぶ。
 
私は、幼稚園の頃には、もし、欲しいものを手に入れても、使わずに大事にとっておきました。
      ・・・・・だって、使ったら、なくなってしまうじゃないの!
 
でも、その”欲しいきもち”にも当然旬があって、
何年もして、興味も薄れたときに、「後生大事にとっておいたな~。」な宝物な思い入れはあっても、
もう、これを使って何かしたい!(遊びたい!)という気持ちはなく、時間経過の分だけ古くなった未使用品があるだけ~
 
こういう自分になった理由は分かっています。
親の愛情に常に飢えていたので、たまに欲しいものが手に入ったら、これから飢えを少しでもしのげるように、さらに厳しい飢餓状態になった時のためにとっておこうとしたのです。(この考えに説得力がありすぎて、納得するしかないのが哀しい。)
 
 
 
今もこれを引きずっているのかな~と思います。
服でも、「これは普段着にしよう。」と決めた、割と気に入っている服があるのに、
もうそろそろ捨てようかな…なくたびれた服ばかり着ている。
そうするうちに、流行も自分の気持ちも変わって、結局その服を着る頃には、「捨てる前に着倒そう」なレベルに下がっている。
 
 
じっくり生活全般を見渡すと、あまりにこういうことが多いです。
手芸でも、「一番のお気に入り布箱」からより、「捨てるのはもったいない箱」とか、「そこそこ好き箱」から先に使っている時も。
 
キットも、「今一番作りたいもの」より、「一番のお気に入りを作る前に練習に・・・失敗してもいい、あまり気に入ってないもの」を作っている気がします。
で、練習して本番に行けばいいのですが、練習にもたついている間に、次の”練習”が必要な気がしてきて、いつまで経っても「本命」が出てこない^_^;
 
 
以前からこれにも気づいていて、「一番欲しいものを買う!」はだいぶ実践できるようになりましたが、
(以前は一番いいものを自分に買い与えることすら躊躇していました)
それを好きなだけ使うところはまだ出来ていません。
 
その時一番したいことをする、
その時一番欲しいものを買う、
迷ったら、より上等なものを自分に与える。
 
           愛情飢餓感は理屈では解消できないし、
           私の抱えている「飢え」は、子供の時の傷の後遺症で、
           今、別の愛情で満たせるものでもありません。
 
           でも、物との付き合いや、
           何をするかの選択で、「自分は最上のものを受けるに値する」を経験して、
           傷を癒していくのはありかもしれません。
 
この「愛情飢餓感」が強く残っている限り、何をしても、買い物病の根本解決にはならないと思うから。