シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

夫との心の距離と今の私にできること

夫が入院して二か月ちょっと。何十回も、何百回も考えたけど、自宅で夫の世話は出来ない・・・。夫が自宅療養になってから入院するまでの5か月くらいで、私のメンタルも壊れ、夫の実生活の世話をするエネルギーを使い果たしました。

今は病気の症状だったと分かるのですが、無関心。ただ食事をして、世話されて、寝ているだけ・・・。私が悩んで調子が悪くても放置。辛かった・・・。

 

 

今のわんこ育ての時、夫はノータッチ。私がしんどくて手伝って欲しいと頼んでも、「無理!」とか、「ケージに入れておけばいい!」と拒否されてばかりでした。構って欲しがるワンコに邪険にしたり、自分の部屋に逃げて出てこないことも多かったです。

一度だけ、わんこを病院に連れて行くのに、雨で電話してもタクシーが呼べず、流しを拾うために雨の中一緒に行ってくれたことがあったかな・・・? という程度。

 

前のわんこの時もそう。

私が熱を出して寝込んでも、「散歩は休み!」と言って連れて行かなかった。さすがに、何度も続けていけない状態だったら、連れて行ってくれたけど。

夫実家のことも、丸投げなのはともかく、相談しても、「いやっ」「知らないっ」とか言って、甘えて考えることすら拒否することもありました。(さすがに切れて、断固抗議したので改善しましたが)

日頃はいいけど、私が体調が悪い時や、助けを求めた時は快く手を貸して欲しかったけど、夫は本人なりにやっていたつもりのようだけど、拒否されることも多くて、私は不満でした。

 

こういうのが積もり積もっていたんだな・・・とはっきり自覚したのも、夫が療養に入ってから。カウンセラーさんと話していて、もう夫の世話はしたくないと思っていたことに気付きました。かなり負担になっていました。

家事をするのはいいけど、マネージメントを全部丸投げされていたのが辛かった。私も主張すればよかったのでしょうが、夫にも気づかいが足りないという意味で非があった。(と私は思っている) たまに言っても、「妻の好きにすればいいよ」とか、「議題を上げてくれたら話し合う」とか・・・どこか他人事でした。

 

夫も私からの感謝やいたわりが足りないと思っていたかもしれないけど、少なくともボーナスの時は、「いつも働いてくれてありがとう!!」と夫の好物を作ったりしてお礼を言っていました。

たまに家事をやってくれればお礼を言ったし。

夫はそういうねぎらいもなかったな・・・ありがとうって言われたこと、殆どない。多分、言ってくれてはいたけど、私のニーズは満たしていなかったのだと思います。

入院前に、私が長年の不満を伝えたら、「当たり前」とすら思わないほど、当たり前になっていたと言っていました。

空気みたいなもの?

蛇口をひねれば水が出る、みたいなこと?

 

 

こういうこともあって、踏ん張れないのかな。

 

わんこ仲間で、お母さんが癌で「もう治療法がない」と言われたあと、20軒くらい”セカンドオピニオン”として病院をまわって、治療してくれる医師を見つけたという人がいました。(治療のおかげで、7年以上無事に過ごされたそうです)

期待して病院に行くたびに、「いや、うちでは無理ですね」と言われ、心も折れかけたことが何度もあったと思います。それでも探した。

 

私には、夫に対してこういうパワーがないです。

国の指定難病で、現時点では回復を期待できる治療法は確立していない・・・でも、海外も含め論文検索などの情報収集をすれば、どこかで実験的な新しい治療を試みているところを見つけられるのかもしれません。その「もしかしたら」を探すパワーはないです。

ごめんね、夫。

 

でも、自分を責めないでおこう。

 

夫の病状悪化を緩やかにして、少しでも穏やかに過ごせるためのケアをしてくれる居場所を探そうとか、

色々な手続きをやろうとか、

夫も不安だろうし、あまり会えないから面会の時はにこやかでいようとか、

こういうことは思うし、少しずつでもやっているけど、これ以上は無理だな・・・と思う。こういう関係なのは、お互いの責任で、私一人の責任じゃないから。

 

 

こういう「私の限界」も含めて、「仕方ない」のかな。

 

病気で50代のご主人を亡くした方が、「自分でできること(コントロールできること)なんて、殆どないのよ。でも、その中で自分でできることをやるしかないし、それでいいのよ。」と言ってくれました。

 

結局は、「あとで自分が後悔しないように」を基準に選択している気がします。

 

こういう現実を自覚するたびに、また淋しくなったり、「どうしてこうなっちゃったのかな・・・」と考えてしまいます。

 

 

それも、仕方ない