シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

「自分」という枠からは出られない

夫の病気で、どんなに「相手のため」を考えても、「相手の状況・気持ち」を想像しても、”じぶん”という枠から出ることはできないな、と改めて実感しています。

 

夫はこれまで様々な病名(疑い含む)を告げられてきましたが、そのたびに、私が真っ先に考えたのは「生活=お金」⇒「自分の人生」で、夫の回復や夫が安心して療養できるかではありませんでした。それが出てくるのは、そのあと。

一つの財布で暮らしているから、我が家のお金の算段をつけることは、夫のためでもあると言い訳もできますが・・・夫の余命が頭をよぎる今になっても、この枠は変わっておらず、「人間、自分が一番かわいい」というお釈迦様の話は真実だ、と体験中です。

 

夫自身の幸福度を考えた時、「若年性認知症で数十年療養」なのと、「難病で数年で他界」のどちらが夫の希望に近いのかは私には分かりません。もちろん、「選べるならどちらも嫌だ」でしょう。実際の生活の状態や心身の苦痛などにもよるので、誰にも判定できないことです。

 

が、世話をすることになる私は、正直、「若年性認知症で(この可能性を聞いたとき既に夫は車椅子、オムツ状態)数十年いられたら、困る」と思いました。・・・いえ、今でも思っています。自分もお金ももたない。自分も年を取る。

 

じゃあ、「早く旅立ってくれていいよ」と思っているのか聞かれると、それも違います。違う理由は、「”自分が”寂しくなるから」とか「”自分が”心細いから」で、やっぱり「自分」の枠から考えています。

 

以前は、こういう自分を自覚すると、罪悪感めいたものを感じていましたが、今はこれが人間だから、仕方ないのだろうな・・・と思うようになりました。まずは自分を大事にして、ある程度安心できる状態にないと、他者を助けたり労わったりはできないというのは、事実だと思うし。

 

逆もまたしかりで、病気のせいもあるとはいえ、夫も「自分の枠」に留まっています。

 

夫が療養に入ってから一番私が辛かったのは、自分の仕事探しが上手くいかずいったん諦め、体調も崩した6月下旬~夫が入院した10月半ば。

10年日記(1日分は3行)をつけていますが、読み返すと、この時期は、「死にたい」「消えたい」「終わりにしたい」ばかり。

中途覚醒の不眠も酷かったし、苦手な蒸し暑さも手伝って、ずっと微熱で体が辛かったのもあります(原因はストレス)。

夫はこの頃は、不眠も解消して、気力も弱り、寝ているか、TVやネットか読書くらいで、家事やわんこの世話、今後の生活の心配(夫の上司に退職から休職に変えてもらえないか相談したり、生活費の試算をしたりは全部私ひとり)もノータッチ。

私もうつ病ならあれこれ口出ししてプレッシャーをかけると却って悪くなるかも、と基本黙っていました。

わんことベランダに出ては、「ここから飛んだら楽になるかな・・・。でも、わんこを置いてはいけない」と空を眺めていました。

私にとっては地獄の時期でしたが、夫にとっては、おそらく、病気になってから割と楽でのんびり暮らせた時期だったのではないかと思います。

 

 

互いに「自分」の枠の中にいても、周りを見渡そうとしたり、できる範囲で想像してみたり、コミュニケーションを続けたりして、お互いにとっていい状態にしていけたらと思います。