夫が入院して2週間以上経ちました。先週は夫の状態は割と落ち着いていたようです。
先週金曜日にリモート面会に行くと、尿閉になり、カテーテルになっていました。私は薬の副作用の可能性もあるかと思いますが、病院からの原因説明はありませんでした。(医師からしか説明できないから。面会などに対応してくれた看護師さんは状態を言うことしかできない。医師からの説明は、検査結果が揃った後、と言われています)
「躁鬱大学」という本で紹介されていた「神田橋語録」を読みました。精神科医の語録です。躁うつ病(双極性障害)を病気ではなく体質だという興味深い方のようです。
私は以前から、病気は、原因の全てではないけれど、その人の無意識・魂が「方向転換して!」とか、「苦しいよ!」、「休んで!」と叫んでいる声だと思っているのもあり、語録の内容がスッと入ってきました。
夫の症状が、鬱だろうが、脳の病気だろうが、認知症だろうが・・・
夫の魂は、一度休みたいって言っているんだろうな。疲れたのかな。
もう頑張りたくないのかもしれないし、人生から降りたいのかもしれないし、
これまで見ないようにしていたものごとが、もう避けないでと言っているのかもしれません。
私の勝手な妄想なので、本当のところは分かりません。
先週金曜日にリモートで会った時、「入院生活に慣れたくはないけど、慣れてきた」と言っていました。
これまでの結婚生活では、夫は自分の仕事は頑張っていたけれど、生活全般は私に丸投げ・依存状態でした。私もそれを受け入れていたのがまずかったと今になって反省しています。
私から見ると、夫はあまりにも自分自身のケアを怠っていました。
家から離れての入院生活は、しんどい時もあるだろうけど、夫が私への依存から脱却するきっかけになればいいな、と思っています。少なくとも、知らぬ間に生活が回っているのが当たり前ではないと実感してほしい。自分の心身の健康は自分で目を向けてケアしないと損なわれることを知って欲しい。
私も、別の意味での夫への依存(過剰な世話焼きや干渉)から卒業して、自分自身の人生に軸足を移したいです。
その為に、夫は発作を起こして入院したのかもな・・・と勝手に意味づけています。
夫のことは本人に任せ、私は自分軸で生きていくための練習を始めました。
日曜に、セラピストもやっているわんこの仲間とお茶をしました。その方に、「旦那さんのことは手放して、まずは自分を愛で満たしてください。自分を満たすことが最初です。」と言われました。
カウンセラーさんにも同じ内容のことを言われたし、本でも読んだし、自分でもそう思います。
実践しようと挑戦してはいますが、歩みはゆっくり。
小さなことでいいので、したいことを気ままにやるといいそうです。
神田橋語録でも、自分に何がしたいの?と聞こうとありました。
がん患者のカウンセリング(レジリエンス外来)をやっている精神科医も、TVで、mustよりwantで動くほうがよいと言っていました。
私は残念ながら未だに「must」に縛られて、「want」が疎かです。
わんこ仲間には、練習すれば出来るようになるよ!と励まされました。
「今日は疲れたし、汗もかいてないからお風呂は休み」とか、「1時間くらい二度寝してからわんこの朝散歩に行こう」位は出来るようになってきました。
私はこれまでmustで生きてきたんだな・・・とつくづく思います。
そのメリットも沢山享受してきましたが、これからはwantを増やしたい。
手芸教室を続けるかも迷っていますが、締め切りを意識しながら作ることが、張りのある励みなのか、自分を縛るmustなのか、まだはっきり見えてきません。
疲れ果てているので、自分の気持ちや状態がぼやけて見えないことは責めないでおきます。