シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

豊かさとは何か  暉峻 淑子著

飛ばし読み、斜め読みで感じたことを

バブルの時に書かれた本なのに、著者の指摘は今にもそのまま当てはまる感じで、今の方が少しは良くなっている面もあるけれど、変わらないこと、悪化していることもあるように思いました。

 

自分にとっての豊かさとは、まずは必要な衣食住が満たされて身の安全が保障されること(実際には何があるかは誰にもわからないので、自分で”安全だ”とある程度感じられて、安心していられる、という意味になりますが)。

次に来るのは、もしもの時にも助けが得られるという将来への安心感、何かがあっても、何とかなる状況や社会制度下にあるという安心感などですが、老い先を考えると、はなはだ心もとないです。

 

以前読んだアーミッシュの生活では、もしも病気になったり、障害を負ったりした場合、高齢になって支援や介護が必要になった場合、共同体が助けてくれるので、そういう不安なく生きていける、とありました。

実際、家族に急病人が出て、アーミッシュの村の外の病院に入院が必要になった場合など、残された家族や家畜の世話などは、ご近所さんがやってくれる。(自分も、周りの人が困った場合は当然助けに行く)

アーミッシュの場合は、信仰に基づく価値観が共有されているので、その心配も少ないのでしょうが、日本では、こういう”助け合い”の中でも搾取や支配が横行するので、私自身は、こういう共同体制度の中で暮らしたいとは思わないですが…。

 

循環型社会に変えていく方がいいと個人的には思っていますが、そうするとすぐに出てくる反論:経済が回らなくなる があります。

今のシステム:大量生産・大量消費も行き詰まりがはっきりしているのだから、もっとサービスにお金を払うことで経済を回すシステムにして、環境破壊を少しでも少なくし、たまの”ハレ”は許容しつつ、基本的にはつつましく暮らす社会にする方が私はいい。

 

社会の中で”弱者”になっても、小さくならずに暮らせる社会が豊かだ、と思うのですが、そういう方向への動きは弱いと感じます。

最近読んだ脳コワさんの本で、障碍者などを差別して見下していた人は、自分が障碍者になったとき、それを受け入れるのに非常に苦労する、というくだりがありました。こういう形でも自分に返ってくるのだから、弱者切り捨てや、ケアワークへの冷遇は改善して欲しいです。

 

著者も大きなくくりでいえば、自分と同意見のようでした。

 

この本にあったアイヌのことば

富を貯めるとは各個人の蔵にモノをためることではなく、大地を豊穣に、自然を豊かにし、自然の中に富を貯めることだ

老い先を含めたもしもの時の心配の解決策:安心して暮らせる社会は、自己責任割合を減らして、社会保障や助け合いとか、やり直しがしやすいシステムとか、教育とか…そういう社会全体の懐を大きくすることにあるように思います。

 

他人の頭の中や生き方まで支配しようとしない。他者として尊重するとかい、自分の不安は自分で受け止めるとか(不安は自分で解決しろ、という自己責任論には反対ですが、自分の気持ちに向き合いたくないからと自分以外のせいにして、助けてくれて当然とばかりにおんぶにだっこで依存したり、攻撃したりする人が多いと社会がギスギスします)そういうベースを持とうとする人が増えるといいんだろうな。