シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

”何だか引っかかる”ということ

自分自身でないものは、私たちの気持ちをかき乱したりはしない。
                                                                          ヘルマン・ヘッセ

ヘッセの言葉ではないですが、何となく引っかかって、考えてしまう物事は、自分の問題につながっているからなんだな~と常々感じています。

今の私は、「見える形で稼いでいない自分」への引け目、「これでいいのか確信が持てない」という、引っかかりがあります。
で、専業主婦バッシングにはすぐ反応するし、「いや、そうは言っても、お金に換算できない価値あることをいろいやってますよ!」と主張して己を保ちたくなります。

このことを最近強く感じたのが、子供がいない人生を生きている人たち(主に女性)の悩みや葛藤などをつづったブログを見つけた時。
私自身は、悩んだ時期もありましたが、「わが子を虐待するこれ以上はないほどの確信」があって、「子供も自分も不幸になるし、そもそも人間苦手だし、自分みたいな存在を再生産するとかないわ」があまりに大きくて、「老い先寂しいかも」とか、「周りに何か言われる」とか、もう、どうでもいい些細なことになっています。
幸い都会に住んでいるせいか、言われることもほとんどないし、逆に、「お子さんは?」「いないんです」「・・・ごめんなさい!!」なやり取りになると、こちらの方が恐縮します。「いえ、望んで選んだ道なので、全く気にならないので、どうぞお気になさらず」です。

老い先寂しいかも?と自問する瞬間もありますが、「いない方が却ってすっぱり諦めつくし、子供絡みのトラブルは一切発生しようがないのはいいよね」と結論を確認して終わるのが今のパターンです。20年後にどう思っているかは分かりませんけど。

自分の親を見ると、苦労して、本人たちは愛情注いで育てたつもりが、三人の子供のうち二人には絶縁されて、少なくとも私は高齢期の彼らを、直接介護しないのはもちろん、たまの電話で励ますとか、時々会いに行くとか・・・あらゆる意味でサポートする気は全くないし、葬式に行くかもわかりません。
今訃報が入っても、少なくとも父親の葬式には行かないな。
両親が、老い先の安心も期待して子供を持ったのなら、彼らからすれば期待外れもいいところです。

父方の祖父母は、本人たちが最後まで知らなかったのが救いですが、自分たちの財産全部を次男にかすめ取られて、自宅も勝手に売られて、本当に「帰る場所がない」状態まで行きました。

他人より、血縁者の方が恐ろしいことを平気でやります。家族は闇です。

こういうことから考えても、「どういう結果になっても、子供が欲しいから生んで育てる」覚悟がないとダメだよね、という価値観になっているのも大きいです。私にその覚悟はありません。


でも、子供がいないことを大きな喪失に感じている人たちがいて、その人たちの苦しみや哀しみは大きいのは・・・ぼんやりとは想像できるし、そういう人は、子供絡みの話題には敏感に反応するのも、本人にもどうしようもないんだろうな…と思います。


社会に蔓延する価値観に圧迫感を感じたり、居場所のなさを感じることも多いですが、そう感じる理由は自分の中にあるんだな~とも思います。

が!! ”感じる自分の問題で、世に全く非はない”とするのも、危ない思考です。
世間と自分と半々かな、くらいにしておくのがいい気がします。

世の価値観で苦しくなる人がいる原因の一つが、多数派の人の中に、自分の内面の問題から目を逸らすために、少数派を非難したり、さげすんだりしている人・・・自分の荷物を他人に背負わせようとしている人が一定数いるのは事実ですから。
そんな人の荷物を背負って、苦しむことはないと思う。