シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

家族のゆくえは金しだい  信田さよ子著

「お金は、家族関係にひそむ力関係や支配といった権力の構図を明るみにする。」と著者は言っていますが、その通りだと思います。

私は幸い生活には困っていないので、親は私をお金で支配することは出来ませんが、それでも、私が自分の意志でやったこと・・・姉の出産前後の手伝いにしても、祖父母の葬儀に出席したこと(遠方だったため、交通費が5万くらいかかった)にしても・・・、数万円握らせることで、娘に借りはないことにしたり、自分優位の立場を守ろうとしたりしてきました。
逆に、子供にお金を出させることで、「自分に仕えさせる」毒親もいるようです。

子供側が、「自分がこんな風になったのは親のせいなんだから、賠償しろ」と言って、お金をむしり取るパターンも多いそうです。無職でお金がなかったら、そうなる場合もあるでしょう。
小遣いをせびって、祖父母を殺す孫の事件は時々ニュースになりますし・・・。

今は子供の経済力が低くて、親の方が資産がある場合が多いので、お金を通して見える家族問題の形も80年代ごろまでとは変化しているそうです。なるほど。



問題を見るときは、「弱者の立場で」
親にとってはしつけでも、子供にとっては虐待 だし、
一方にとっては単なる夫婦喧嘩でも、相手にとっては身の危険を感じる脅迫(DV)だったりする。

「歴史的社会的変動」という視点
家族観も、家父長制と男女平等では全然違う。
専業主婦が主流の頃と、今の共稼ぎがデフォルトの時代では、家族内の関係も違ってくる。
 ・・・私は専業主婦の今に時々引け目を感じますが、母親は感じていなかったと思います。これも「社会情勢の影響」でしょう。見逃されがちですが、ベースにある社会の価値観や多数派の「家族の問題」に与える力は大きいと思います。


信田さんの著書を読むといつも思うのですが、「愛」や「絆」なんていうきれいごとを取っ払って、「家族間の権力・支配構造」で見ると、問題の解決の糸口もみえやすいな、と思います。

私の親子関係で見ても、他者(手軽に支配してきた子供=私)を支配したり、蔑んだりすることで、自信を保とうとする両親と、もうそれは許さないと決めている私。
私が親から援助を受けていたら、支配から完全に逃れることは難しいけど、援助を受けていない(借りがない)から離れられる。
この現実を見れば、私が幼いころから続く支配を続けるには、多少の妥協や「飴」も必要なことは明らかなのに、それを認識できず、支配力を失った両親。
自分が欲しいのは「支配力」なのに、それを「親子の愛」だとか、実体のないお綺麗な考えで誤魔化したために、失った、とも言えます。
もっと腹黒く割り切って親が動いていたら、私は、「親の愛」にからめ捕られて逃げられなかったでしょう。


以前から思っているのは、セイフティ―ネットとしての家族を維持したいなら、離れていることが肝要、ということ。
本当に気が合う仲良し家族なら、親しい付き合いもいいですが、大抵はそうではないので、ビジネスライクな割り切った助け合い関係の方がお互いのためだと思うのです。
助け合う場合も、「ここまでは出来るけど、これ以上は出来ない」など事前に取り決めて「契約」する。
どちらか一方が、「まぁいいじゃないか」と自分の都合のいいようにゴリ押しすることは許さない関係。
たまには顔を合わせて、「セイフティ―ネットコミュニティは維持されているよね」と確認する。・・・でも、べたべたはしない。
会社で、同僚・上司全員にプライベート全部を開示しないのと同じです。


多くの家族問題は、きれいごとで誤魔化そうとすることでこじれるんだな~と改めて思いました。