シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

嫌だと思っていいんだろうか? とどうしても感じてしまう

多少はACな部分が減ってはいますが、この点はまだまだです。

知り合いに格下げした元友人に、わんこに会いに来る話は白紙で、とメールをしました。そのきっかけは、また100%自分のことしか書いていないメールが来て、うんざりしたからです。
まるで私がこの独り言ブログの一記事を、前置きもあとがきもなしに、メールで送りつけるようなものです。
相手に失礼。

「書いてきた内容を完全に無視して、私が自分のことだけをメールしたら、相手はどう反応するんだろう」と思ったりもしました。

それとは別に、「相手が自分のことだけ書いてよこすのを、”嫌だ”と思っていいんだろうか?」と迷っている自分がいます。
理性と感情が別になっているわけではなく、「嫌なんだから、それでいい」という考えと、「嫌だと思うのはおかしんじゃないか」という考え両方が並び立っている感じです。

 確かに不快に思っているんだけど、それはOKなんだろうか?
 自分がおかしいんじゃないんだろうか?
 不快に思う権利があるんだろうか?
 この程度のことは我慢しなくちゃいけないんじゃないの?

まるで、他人の物が欲しいから盗もうとしている自分に、「いやいや、それはまずいでしょ」ともう一人の自分が諭しているような、ある意味社会で生きるうえで必要な感覚の声が上がってきている感じで、「嫌と思うのはおかしんじゃないか」という感覚が湧いてきます。



子供の時に、親から無下にされても我慢する以外の選択肢がなかったから、今でも、こういう扱いをされるのは「普通のこと」として処理しようとする回路がしっかり生きている感じです。
別ルート(嫌だから、それに沿った言動をする)も育ちつつありますが、古い回路も健在で、アンビバレントな思考・感情に混乱します。

「友人関係は、互恵が基本」ということが、「暴力はいけません」のように、今の日本社会共通の認識になっているわけではないので、拠り所にする基準が弱くて、「嫌なんだから、それでいいんだ」の方に軸足を動かせずに困っている感じです。
多くの精神的に健康な人からしたら、こういうことで気持ちがふらつく理由は理解不能なんだろうな~。