シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

「それでも親を愛している」のは昔の話だった

「それでも親を愛している」を書いて、引っかかりが残っていました。
何かな~とゆるっと観察していると、「愛している」のではなく、「愛していた」の方がしっくりくることに気づきました。

今は、あの人たちを愛してなどいない。そのことが寂しい。 ‥‥これが現状に一番近いかな…。

自分には通常”親”という言葉が表現する存在(子供にとっての保護者、導き手、最初にこの世の在り様と愛情とは何かを教えてくれる存在、自分をこの世に生み出した者たち)がいない。
本来いるはずの存在を熱望している状態を今回「愛している」と表現していた気がします。

彼らを愛していた…というのとも微妙に違う。

子供の時は、親を心から好きだった瞬間もあったのだろうけど、今になってみると、本来いるはずの”親”を手に入れたくて、必死にもがいていたのが子供時代だった気がします。
このもがきを「愛している」と表現しただけなのかも。

自分の深層心理までは見えないので、よく分かりませんが、現在は、あの人たちへのプラスの執着はないです。残念ながら。
自分では、本当はまだ”関係を続けたい”という方向の執着が残っているからこその反動で、熱く、「あいつらのことは知らん!捨てた!」と叫んでいるのかな…とうっすら想像していましたが、どうやらそういう時期は過ぎていたようです。
嫌悪や軽蔑、多少の憐憫はありますが、何らかの関係を求める気持ちは消えているようです。
少なくとも今は知覚できません。