シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

解脱寸前  小池龍之介著

小池龍之介さんの本は何冊か読んだことがあって、私には分かりやすくて好きです。
この本は、瞑想の指南書として読みました。(著者の意図とは違うかもしれませんが)

内面への気づき、集中、無執着  これに尽きるそうです。

ふむふむ、そうなんだろうな~という気はします。

映画のスクリーンを例にした話が分かりやすかったです。
次々湧いてくる想念を、スクリーンに映し出される映像に例えて・・・その映像があるような気になるけれど、白いスクリーンに映っているだけ。日頃は次々映像が流れる(想念が湧く)ので、意識しないけど、映像が流れるままにして観察していると、スクリーンの存在に気づく…。

ぼんやり受け取ることが出来たのは、いいとか悪いとか、好悪の判定などせず、ただ、「こんななのね~」と観察を続けていると、これまで経験のない感覚・境地に達することがあるけど、それも、「こんなものなのね~」と観察をつづけようね、と著者は言っていて、大まかにはこれまでの自分のやり方でいいようだ、と思えました。(本当にそうかは不明)

今年は途切れながらも瞑想していますが、確かに、ほんの少し離れたところから観察するスタンスでいられる瞬間が増えるだけでも、ストレスが減るな、とは感じています。
これまで気づいていなかった自分の感情に気づいたり、別の視点があることに気づけたり、もあるかな。

「自分がいる、いない」の話などは、正直、同意は出来ませんでした。
否定はしないけど、今はそういう捉え方をしたくないです、が今の私の考えかな。

雑多な想念が自動反応で次々湧いてくる中で、一つをとらえて「今の自分」とするなら、その「自分」とは何ぞや?という論で行くと、確かに著者の言う通りなのですが、雑多な想念が湧く、神経回路全体、とりとめのないものが捉えようもなく湧いては消える状態の1単位を”わたし”としてとらえておきたい、そういう感じです。


私は少しでも気が楽になりたくて瞑想を始めましたが、もうちょっと続けてみようと思えました。