シンプルライフへの遠い道

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ダブルバインド

今読んでいる本で出てきて、また親を思い出し、微妙な気分。

簡単に言うと、「愛していると言いながら、相手に害をなす」ような矛盾をはらんだコミュニケーション。
メッセージ(愛している)と、それを解釈するための振る舞いで示されるメタ・メッセージ(愛していない)のはざまに受け手は落ちてしまいます。

「なんでも相談しなさい。力になるから。」と言いなら、相談したら、バカにされて放置で終わり、はさんざんやられたなぁ。
「面倒くさいことは親に持ち込まないように」と最初から言われている方がましだった気がする。
「そういう難しいことは私の手には負えません」と突き放された方が、まだましだったな。
あぁ、親は私のために一肌脱ぐ気はないんだと思い知らされて、かなり凹んで、やっぱり見捨てられたと思っただろうけど、「こういう相談事を持ち込んだ私が悪い」とは思わずに済んだと思うから。

今は統合失調症の発症理由としてのダブルバインド理論は現場では採用されていないそうですが、あまりに頻繁に、切迫した状況で体験すると、人間不信が育つこと間違いなし、と言いたくなります。

ダブルバインドを繰り出すのは、強者の方。
弱者がそれをやると…「あなたに従います」と言いながら、陰で指示を無視していたら、その後の制裁が怖いから、内心「知らんがな」と思いながらも、それを実行するのは難しいし、殆どの場合しないよな…。

強者は、「自分の余力では1万円分しか助けられない」のに、「お前の為なら100万でも出してやる」と言い、実際に「10万円分助けてください」と言ったら、「ふざけるな」というようなことを日ごろやっているわけで…自分の優位に胡坐をかいて、己の持つ能力や余力を検証する努力と手間と、現実を直視する苦痛を避けているだけなんだよね…。

こういう「己を顧みることを免除される快適さ」を得る為に、権力を求める人がいるとネット上で書いている人がいましたが、本当にそうだな、と思います。



ダブルバインド」の一つの単語で引っかかって、またぐるぐる考えているのでした…。
  結局、「親が嫌い」だとか、「己を振り返る度量もない奴はどうしようもないな」止まりなんですけど。

自分は極力やらないように気を付けています。
まぁ、私が権勢をふるえる相手がいないから、実行したくてもやる場がないんですけど。