シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

死ぬ気まんまん  佐野洋子著

母親との葛藤があった人なので、以前から親近感があったのですが、NHKの5分番組でエッセイが紹介されていて、その番組がなかなかおもしろいので本を借りてきました。
面白かった。

表題の「死ぬ気まんまん」、医師との対談、謎の痛みでホスピスに入院した時の体験記、の3本でした。

死ぬ気まんまんは、60代後半で乳がんになって、治療はしたものの転移し、「死ぬ気まんまん」な時期のエッセイ。
こういう風にさばさばできればいいだろうけど・・・自分には難しいかな。
60代になったら、こういう気持ちでいられたら、老後も楽しいかも、と思います。病気や衰えは避けられませんから・・・。

「その時は、死に直面していくのを残り時間の全てをかけて考えようと思った。しかし、そんなことはできなかった。墓を買ったり寺を決めたりしたが、生きているとつい忘れてしまうのだ。死ぬことを。」
「立派な死に方がどういうものなのか今も分からない。」

なかなか率直です。
生きていると、死ぬことを忘れる というのは、今の私。私の場合は、「わんこが逝ってしまう」ですが。
口角の患部が徐々に悪化していた時は、「あぁ、この子は遠からず逝ってしまう。」と見る度にがっくりきていましたが、口角が治ってからは、「天寿を全うして、数年後に逝く」と勝手に思うようになってしまいました。
口の中の腫瘍は、徐々に小さくなってはいるものの、依然としてしっかりあるし、爆弾を抱えていることに変わりはないのに。いい気なものです。
でも、これは天の恵みなのだと思います。
しんどいことは矮小化して横に置いておけるから、日々生きていけるのでしょう。


ホスピスの話も興味深く読みました。
自分でも病状を把握していて、「余命二か月」と言われて、自分で選んでホスピスに来たのに、絶望したのか、数日で亡くなった人― 心の奥底の本音は、本人にもその時にならないと分からないのだな、と思いました。
自分でも、事前に想像していたのとは違う反応をする自分に驚くことがあるので、ことが重大になるほど、本音は無意識に沈んでいて、自覚できないのかもしれません。