シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

「人間恐怖、人間嫌いを修正する努力」は諦めよう

これまで何年もしつこく考え続けて、試行錯誤も、自己観察も重ねてきたこのネタ。

今は、もう無理だな~、このままでいいや、な気分です。こだわるだけエネルギーの無駄っぽいです。残念ながら。

自分にも生存許可証があるんだと感じながら生きていけたら、幸せな下支えが出来るだろうな、と憧れて、切望してきましたが、どうにもならない。

私の方が人間を仲間と思っていないらしい(-_-;)

他人は基本親切で優しいと経験を積み重ねて学んでも、なぜか血肉にならない。経験が足りないんだと思ってきましたが、微妙に違う気がしています。経験から学んだことをしかるべき場所に収納できず、”それはそれ、これはこれ”と別々になって、永遠に統合されない気がしています。

 

先月の台風被害のニュースを見て、被災者を気の毒だと思ったし、ボランティアには行けない・行かないけど、募金位は、と思ったのは本当です。が、実際は生協のポイントを数百円分寄付して終わり。

東日本大震災の時もそうでした。

人間を支援する気が湧かない。私が被災しても、助けてもらえないと根っこの部分では思っているからかも。

自分が困った時に助けてくれるかの損得を横においても、一番根深い部分で、私の方が仲間だと認識していないようです。

 

大震災の後、わんこレスキューしているグループには数年支援を続けました。飼い主と生き別れて、哀しい思いをしているわんこたちが少しでも助かるように、と自然と祈る気持ちも湧いていました。

同じ気持ちが、家族を亡くした人に対しては湧きません。

 

まぁ、仕方ないです。

 

毒親育ちの人たちに聞いてみたいです。

人間不信とか、人間嫌いとかがあるのか、変化したか・・・とかを。