シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

喪失という転換点

まだ先のことを考えられる状態ではないし、考えたところで、気晴らしの日帰りバスツアーすら行く気になれない現状では、ろくな決断はできないのですが・・・無料求人誌をもらってきたり、ネットをさまよったりしています。



手作りの品をネットで販売し、売り上げを被災地支援に寄付している方が、手仕事をする気がなくなったので、この活動は止めて、別の支援を模索する、という文章をネットで見つけました。
老親の看取り準備に入っているそうで、手仕事が楽しめなくなったのと、自分が生きている間に私物の始末をつけたい気持ちが大きくなっていったそうです。
この方は、老親の姿を通じて、自分の最期も考えるうちに、価値観が変化したんだろうな~と想像しています。
親しい存在の喪失(この方は、”喪失”はしていないのですが、遠くない未来にお別れがあるのは確実、という意味では、喪失の時期に入っているようです)は、価値観の転換点になることもあるんだな~としみじみ拝読しました。



じゃあ、私は?  のんびり自問しています。

また働くのか、ペットを迎えるのか、新たなことを始めるのか・・・ということはさておき、

「上手く生活が回っているな~」と日々感じられて、「”いつ死んでもいいように準備は出来ているから、好きなことをやろう”と思える状態に整っている」のが当たり前の生活にしたいです。
これまでずーっと思い続けて、実現できていません。
頑張って近づいては、また離れ・・・の繰り返し。


今は、そのためにやるべきこと、止めるべきことを整理して、実行していくほど頭が回りません。
とりあえず、気付いたことを、自分にできるペースでのんびりやっています。
まだわんこ関連品の整理すら終わっていませんが、最低限、「毎日何か一つはことを進めている」ので、よしとしています。

運動のための外出の口実になるように、と、敢えて買い物は「今日買いに来た物だけ買う(ついでに、と余計なものは買わない)」をやっていますが、いい感じです。
食品在庫がじりじり減ってきました。
減ると在庫把握がさらに簡単になり、消費も進む、といういい循環です。
いずれ何か始めて忙しくなったら、このやり方はやらなくなるでしょうが、今、体験しながら学んでいることが生きてくるでしょう。


細かい問題(お金のこと、社会からの孤立のことなど)がクリアできたら、心の平安(いつ死んでもいい状態にいる安心感)追求の日々を送るのも悪くないかな、と思ったりもしています。