シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

根深い孤立無援感

昨夜も変な夢を見ました。助けが必要な時に、誰も助けてくれないから、自分でどうにかしなきゃいけないし、出来なかったら、周囲の人はのびのび暮らしていても、自分は諦めて死んでいくしかないんだな― という思い込みが続いているな~と思いました。

夢なので整合性はありません。

私は実家にいて、修学旅行の荷物を持っていました。が、集合時間が10時なのに、その時は11時。どう考えても間に合いません。
でも、父親に車で送ってもらえたら、先生に連絡して途中で合流する方法もあるか?と、母親に、「お父さんは?」と聞くと、「もう(お酒を)飲んだから、運転は無理だよ」と言う。娘が修学旅行に行けなくなりそうなのに、何とかしようと考えるとか、慌てるとかは全くなし。
「もう間に合わないから、諦めるしかないかな・・・」と言うと、
    母親は、「それでいいの?じゃあ、後日、お母さんが先生に不参加の電話しておくわ」で終わり。



一緒に解決方法を考えて欲しいと思うことも許されていない感があります。
困った時に、細かく具体的に依頼しなくても、「どうしよう?」と一緒に考えて動いてもらえるという、周囲への信頼というか、頼れる仲間がいるから大丈夫という安心感そういうものが薄いです。
時と場合によりますが。
大抵、簡単なことなら頼めるし、相手も助けてくれるから解決できますが、本当に困った時ほど、「相手にとっては、ここで私を助けるのが”義務”じゃないものな」と最初からあきらめてしまう自分がいます。

自分のこれからの課題の一つが、人に頼みごとをすること、人を頼ることなんだろうな~と思います。

両手に荷物がある時に、たまたまそこにいる人がドアを代わりに開けてくれるのが当然だと思うのはおかしいけれど、そうしてくれたら嬉しいとか、本当に困っていたらお願いしてもいい(相手は断ってもいい)とか、そういう風に思うことも封じられていたなぁ。


「協力して目的達成するのがお互い”仕事”だよね?」という前提があるのと、「私は短時間パートで職場のルールを熟知しているわけじゃないから、自己判断で動いて結局迷惑かけるより、社員さんに指示を仰ぐのは当然」という考えなので、仕事では頼んだり、聞いたりが出来るのですが、プライベートでは苦手です。
苦手と言うより、「相手には断る選択肢も提示したうえでお願いする」という選択肢が、自分の中から出てこないことが多いです。