シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

2018年10月9日(火)

今日は朝から二か所に買い物へ。
身体を動かせば、血もめぐって気持ちも多少は上がるかと思いましたがダメでした。
何だか力が入りません。貧血なのかなぁ。健診結果が来たら確認しよう。

ブログに「気持ちが落ちた時は断捨離!と決めて、無心に捨てている」と書いている人がいたので、真似して久しぶりに断捨離。
手芸関係の雑誌。まずは中古で売れるかアマゾンで値段チェック。売れないもの(手間をかける価値のある儲けの出ないもの)と売れるものを分けました。売れないものは、気になるページだけカットして、本体は捨てる予定。売れるものは、気になるページがあればコピーして出品の予定。
この”気になるページ”も1冊につき1ページあればいい方です。
好きなテーマの特集号はとっておくつもりです。

あちこちから出てきた写真を入れている箱を再びチェック。
親の写真が出てきたので、じっと見てみる。
年取ってるな~(と言っても、10年くらい前の写真。親は60代)。
この人たちは、家族への思いやりという点では、今生ではいい学び方はしないままで終わるんだろうな…。私が知らない経験が沢山あって、私が知らない思いをしてきて、私が知らない人生の学びも実践も山ほどあるんだろうけど、私が知っているこの人たちは、トータルすると「残念さん」なのだ。

誰かが死刑になると、「もっと話してもらいたかった」とか、「これで永遠の謎になってしまった」とかいうコメントが必ずと言っていいほど出てきますが、天寿を全うするまでその人が生きていても、おそらく、被害者やその関係者が聞きたいことは、永遠に聞けないと思います。自分の経験からそう思います。
まず、本人(私の場合は親)が、自分と向き合って、言語化するとは限らない。
その言語化したものが、後付けの浅い理屈で終わる場合もある。私は親が”本当のこと(本音)を言っている”とは思えませんでした。
そもそも、自分の内面をある程度深く掘り下げて向き合って、言語化する能力がある=”内省力”がある人だったら、そんなこと(私の親の場合は虐待)はしないんじゃないかと思うのです。獄中で内省するようになる人もいるようですが、私の親は「自分たちは立派な市民だ」と思っていて、子どもたちから絶縁されても己と向き合わないんだから、もう無理ですね。

写真は、もういいや、と思って、捨てました。


明日はフルタイム。明日に備えてこれから常備菜づくりです。