今は微熱がしんどいです。病院では37.4度でした。
先生も「う~ん。平熱が高いのかな?」と判断に迷っている感じでした。
多くの人にとっては、おそらく、「風邪を引きました」と受診する体温ですよね。多分。
「しんどいのも含めていつものことだし、解熱鎮痛剤でも熱は下がりませんから…」と言って帰ってきました。
断捨離作業:手放すか迷っていたCDをもう一度聞いてみて、「保存」に決定しました。
自分でも、自分の病み度がどの程度か分からないのも、拗らせている一因だな、と感じます。
「今こういう風に感じているな~、ちょっと不快感もあるな~」という時、精神的に割と健康な多数派の人たちもそれに対して同じように感じるものなのか、自分がACだからなのか、分からないのです。
どう感じるかはコントロールできないし、別に多数派の感じ方が正解ではないし、それに近づくように自分を修正する必要もないと思えればいいのでしょうが、生きづらさを減らしたい私としては、もしそれが私が歪んだ受け止め方をしているせいなら、少しでも楽になる受け止め方をする方向に変化したいと思っているので、追及・観察の加減が難しいです。
とらわれ過ぎても病みを酷くするだろうけど、無視するのも違う気がする。
程よい感じが分かりません。
毒親絡みの問題(ACな自分とか、生存許可証がない件とか、OS違いとか)は、一つ解決に近い状態まで行ったかな?と思うと、次の問題がそこにある、という「玉ねぎの皮状態」なので、休み休みでないと疲弊します。
他のACな仲間たちはどうやって対処しているんだろう…。
「こういう行動をとりました」「今日は落ちて何もできませんでした」という表現に出会うことはあっても、心の動きまで中継されているわけではないので、よく分かりません。
私も自分の心理変化などを上手く言語化して、”これなら少なくとも仲間には想像してもらえるだろう”という形に持っていくことが出来ないしなぁ。
まぁ、思い詰めないでおこう。
やっぱりこっちもよく分からない…。いえ、不整脈よりは分かった(気がした)かも。