患者本人はもちろん、関わりのある人(家族、友人、医療者、その他専門スタッフなど)が集まり、ミーティングを繰り返すのが基本。
フィンランドが発祥で、数値で表現できる成果(再発率の低下など)を出しているそうです。
以前から「オープンダイアローグ」という言葉は聞いたことがあって、興味があったので読んでみました。
この本を読んでいると、自分の親子関係のあれこれまで蘇って、かなりしんどかったです。
連絡を受けてから24時間以内にミーティングを開く。
可能な限り関係者全員が参加する。
ミーティング参加者に上下関係はなく、オープンに話をし、たとえ妄想話だろうがじっくり聴く。
こういう基本原則を読んでいると、「あぁ、もし日本にこのアプローチが普及していて、子供の誰かが精神的危機に陥ってこの援助を希望しても、私の親は動かないな(ミーティングに参加しないだろうし、自分の子供が精神の変調に苦しんでいることすら否認するだろうな)」と思うわけです。
このアプローチは効果があるだろう、というのはこの本を読んでみて大いに納得できましたが、「毒親持ちはこのアプローチに到達すらできないよね。 これって”格差”だよな…。」と思ったり。
確かに絶縁して、継続できる自信もついてきたけど、私の毒親問題はまだまだ未解決だな…と改めて思わされた1冊でもありました。
肝心の内容ですが…上手くまとめて紹介する力量はないので、自分の気になったところを。
ミーティング(治療面接)での鍵は「不確実性への耐性」「対話主義」「ポリフォニー」の3つ。
不確実性への耐性…結論を急がない。予断や憶測を避ける。
ネガティブケイパビリティにも通じるな、と感じました。
対話主義…一方的な診断や、聞き取り調査的な言葉のやり取りではなく、”対話”する。
「聴くこと」重視。
ポリフォニー…誰かが中心になって話すのではなく、それぞれが対等に扱われる。
日本の精神医療はかなり遅れているので、実際にオープンダイアローグが広まるとしても、10年単位で時間がかかるだろうな、と思いました。
精神疾患の治療に限らず、多くの問題は、この3つを備えた場での話し合いを繰り返せば、解決はせずとも、”それはそれとしてそこに置いたまま、ゆるっとみんなでやっていく”ことがかなりスムーズにできるんじゃないかとも思います。
即解決を求める人が多く、不確実さに留まる忍耐力のある人は少ないから、実社会にこのコミュニケーションスタイルが広まる望みは薄いですが…少なくとも自分は、出来そうなときくらいは、この3つを日常生活やコミュニケーションでも忘れず、大事にしたいです。
決死の覚悟で話したのに、スルーされるだけでなく、人格否定付きの全否定・否定的空気感付きの黙殺とか…あれ、辛いんです。
自分の話はじっくり聴いてほしいし、〇×や点数をつけるのではない言葉を返して欲しい。
まぁ、自分がやって欲しいことは、先に人にやれよ、どうやらこれはかなり万人受けするようだよ、ということを確認した感じです。
世界的にも新しい精神療法の一つを紹介した本を読んだ感想からは、離れてしまいました(^_^;)