長年交流のある人からの便り。
・自分の親との別れが近くて、辛い。
あなたの両親は元気ですか?時々会っていますか? ご両親が元気だといいのですが。
・専業主婦だそうですが、働かないのは体調でも悪いのですか? もしそうなら、お気の毒です。
こういうことが書かれていて…
親とは交流があること、
親の健康長寿を願うこと、
特別な事情(介護や育児?)がなく、健康なら、働くのがデフォルト
という前提なんだよね…と感じました。
これを前提としていることを非難するつもりは全くありません。
私も、相手の事情や性格を知らない相手なら、この前提のもとに世間話を始めますから。
そう理解していても、何だか前提を共有できていないことを寂しく感じます。
悪意も押し付けもない他者からこの前提を提示されると、
・親とは縁を切って、相手の健康長寿などこれっぽっちも願っちゃいない
・買ってもいないけど宝くじで大金手に入ったら、即退職して、わんこ暮らしに埋没するんだけどな
(働きたくないよ)
と思っている自分は、少なくともこの2点については世の前提から外れているんだな~(少数派なんだな~)と思い知らされて、少なくともプラスの気分にはなれません。
気にしなきゃいいじゃないのという声まで聞こえてきて、気にする自分の小ささとも向き合う羽目になります。
前から思っていますが、子供がいないことについては、いくら周囲で話題になっても、「子供がいて私は幸せ!!」を見聞きしても、心を揺さぶられることはないです。
親のことはともかく、仕事のことは、どこかで、「老後不安」や「働かない=チャレンジからの逃避」と思って引っかかっているんだろうな‥‥。
何かが引っかかる、圧迫感があることの中には、自分の未解決問題が隠れていることもあるんだな…。