シンプルライフへの遠い道

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自分の「異常性」に気づかない人たち  西多昌規著

副題:病識と否認の心理

パーソナリティ障害、サイコパスなどの本かと思ったら、違いました。
精神科医としての臨床経験の中で出会った、「自分は異常(かも)」という認識のない患者さんの話。
統合失調症うつ病、自己愛性パーソナリティー障害、境界性パーソナリティー障害などの症例が出ていました。

日頃から、「どこで線引きするの?」は疑問で、はっきりとした線はないと分かりながらも、目安が知りたいと思ってきました。
私がおかしいと思っている相手が「正常」なら、「私が壊れている」ってこと?
揺らぎがあります。これは、親がおかしな教育をしたせい。
転んでけがして痛いのに、「痛いわけない」なんて言われ続けたら、混乱して感覚がおかしくなるし、自分の感覚を信じられなくなっても仕方ない。かなり修正できましたが、「おかしいのは相手か、自分か、両方か」の問いは常にそばにあります。
正常かどうかの判定をせず、そのままにしておくことが出来る時はそうしよう、と最近は思えるようになってきましたが、どうにも居心地が悪くて、正誤は別にして、自分なりに判定してレッテルを貼らないと落ち着かないこともあります。

こういう本を読むと、「なるほど、こういうところがずれているんだな」とか、「後から振り返ると、”あの時はおかしかった”と気づいたりってあるんだな」とか、ふむふむ、と思うのですが、実生活で会う人、自分自身、どうなのよ? となると、難しいです。

どこまでが個性の範囲なのか?

どの時期を見るかでも違うし。
現時点では、私は自分は異常だとは思っていないけど、「あの時診断受けたらうつ病だったんだろうな」という時期はあります。



この本を読んで感じたのは、「専門家でも判断に悩むグレーゾーンがこんなに大きく広がっているなら、私がごちゃごちゃ考えても、”分からない”が正解なんだな」ということです。
自分が、「なんかこの人やばいぞ」と思ったら、逃げよう。
その、「逃げ出している私」の方が、おかしいのかもしれないけど、だからどうだというのだろう。