シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

私の寛容度

先日、同じ毒親育ちの同士だと分かって意気投合した友人に、「あなたは受容度が高いから話がしやすい」と言われました。
どうやら、マイノリティへの偏見とか拒絶感が少ないという意味らしいです。
珍しく褒められて嬉しかったので、記録に残しておこう。
たまに読み返して、自分に「お前はOKだ」と言葉をかけよう。
「ACな私」はあまり社会で受け入れてもらえなくてしんどいから、他の人に似たしんどさを与える可能性が低いなら、そう感じてくれる人がいるなら、それは嬉しいことです。

自分には他人の基準が分からないので、実感がないですが。
その時話題になったのは、性的マイノリティや性的嗜好でした。
性的嗜好だけでなく、他のことでもそうらしいです。

他人の嗜好をどうこう言う気もないし、加害者性がないなら、好きにするのがいいんじゃないかと思っています。
自分が苦手な食べ物が好物な人とは付き合わない、とか、私はしないし、「そんなものが好きで恥ずかしくない?」なんて全く思わないし、それと同じ。
そもそも、分かった気になっているだけで、自分の奥深くにあるものを私も含めたほとんどの人は分かっていないのだから、何かにダメだししたら、それは自分に還ってくる気がします。極力やりたくないです。



実際問題、もしも、姪が実はバイセクシャルだとカムアウトしても、別に何も思いません。(これは私の妄想なたとえです。事実ではありません)
「いろいろ苦労もあるかもしれないけど、好きに生きればいいよ。」と言いたい。

友人が、「私3Pが好きなんだよね」と言っても、「ふ~ん」かな?
好奇心であれこれ聞いてもいい?とか言いそうだけど。
お誘いされても断るけど。

でも、「自分はロリで、三次元がいい」という人は微妙。
その嗜好をどうこうは言わないけど、児童ポルノ絡み犯罪の消費者になっているの?という警戒はするかな。加害者になっているなら論外だし。


夫は、男性の同性愛者はダメらしいです。(女性同性愛者はOK)
自分が同性にそういう欲求の対象としてみられる可能性があるだけで、身の毛がよだつらしい。
実際に見られているかは全く関係ないそうです。反射的に起こる感覚だから、コントロール不能らしいです。

私はそういうのも気にしないかな…。遠巻きにそういう目で見られていたとしても、そもそも気づかない。
実際に、好きな人にアプローチされたら嬉しいし、そうではない人に口説かれたら困るのは、相手の嗜好や性別とはあまり関係ない気がします。性格は関係しますけど。「こんな嫌な人に好かれてるの、私!!何したの、自分!」みたいな感じで嫌かもですが。
もてたことがないので、分かりません。
今思うと、毒親タイプの人に、ACな私を嗅ぎ分けられて、付け込むターゲットにされるより、別の嗜好の人にそういう対象に見られる方が抵抗がないのかもしれません。
私や他者に何かを強要したり、搾取しようとしないなら、相手がどういう価値観でもOKなのです。


人との交流が大事というのはこういう事なのかもしれません。
自分がどう見えているのか、フィードバックがあるのはありがたい。