シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

ちゃんと親に話していたんだろうか  その2

オウム真理教の菊池直子さんの手記をネットで見かけて、「どうせ親は私の話は聞かない」という思いは横において、伝えようとしたんだろうか?と考えました。

思い返すと、彼らが毒親だと気付いてからは、思い込みを横において伝えようとはしていませんでした。どうせ嘲るんでしょ?話を聞かずに歪曲させて、自分たちの思う通りに私を支配しようとするんでしょ?と思っていました。(実際そうでした)
あの時の自分は、必死に伝えようとしていましたが、後から思うと、どうせ通じないと思ってもいたな、と思います。

結果が「絶縁」になった電話をしたときは、「言うことは相手がどう反応しようと言う!」と気合を込めて話をしました。
確かに、ある程度は通じました。

父親「お父さんからの近況報告の手紙を受け取らないということは、
        親の生死も分からないことになる。実質絶縁ってことになるが、それでいいのか」

私「絶縁も仕方ないね」

父親「分かった。でも、葬式くらいは来てくれるんだろうね」

私「約束できない」

後で考えると、突っ込みどころ満載の会話の一部は上記の通り。
「親の生死が分からない」のに、どうやって葬式に行くんだろう?

父親はこの時、「この顛末を姉に報告しておいてくれ」と言ったこともあり、私は「お互い合意のもと絶縁した」と受け取りました。互いの生死不明の親子関係を、「絶縁」と言わずして何と言おう?自然消滅?
姉にも絶縁報告しました。

その1年後、身内の葬儀で会った時、両親は「絶縁」などないかのように振舞いました。
私は「絶望」では表現しきれない、徒労感・虚無感とでも言えばいいのか、あまりの通じなさ、私の想像の範疇を大きく超えた彼らの認識様式にがっくりでした。彼らは狂っていると思っています。
お陰で、彼等への未練は消えましたけど。
正直に言えば、今でも、「表面的な付き合いだけでもできる人たちだったら」という思いはありますが、それは「自分を愛してくれる本当の”親”が欲しかった」のと同じ夢の残滓だと分かっています。
それが無理だから、こういう結果になっているのですから。


あぁ、そうだった。
彼等とのコミュニケーションは、「自分の思い込みは横において、伝えることに集中する」ことでどうにかなることではなかったのだ。
たとえ、通じる瞬間があっても、次の接触時には、彼らは自分の都合のいいように変換したものを事実として記憶していて、現実を私と全く違うように認識しているので、どうしようもないのだった。

世の中には、どんなに考えて行動し、どんなに努力しても、どうしようもなく通じない相手がいることを自分の親で学ぶことになろうとは。まぁ、仕方ないです。