シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

あまりにも親には通じていない

親から性懲りもなく年賀状が来ました。その場で破り捨てました。

年賀状が届くのは、分からなくもない。
唯一の「つながり」まで止めてしまったら、向こうにとっては「絶縁を受け入れた」ことになるから、嫌なのでしょう。
この先、面倒を見てほしいと思っているらしいので。
自分たちから縁を切ったならともかく、自分より下だと思っている相手から関係を切られたのは屈辱で、認められないのもあるのでしょう。

でもね・・・
こちらは元気にやっているから心配はいりません なんて書いてある。

心配なんてしてないし。
気になっているのは、一体いつまでこの歪んだ関係に決着がつかない状態に耐え続けなくてはいけないのか?ということで、あなた方の健康状態、幸福かなんて関心ないんですけど。

この通じなさは何なのだろう。

まぁ、「気にかけてほしい。元気でいてほしいと思っていてほしい」という向こうの”希望”なのでしょうね。
怒りや嫌悪より、憐れみを感じました。
私より年長で、人生経験も豊富な人が、こんな単純な「関係のこじれ」を認識できずに妄想に縋っているとは。


予想していたとはいえ、正月早々嫌なものを見てうんざりしました。
でも、去年よりは気持ちのさざ波は小さかったです
うんうん、ほんのわずかずつでも、自分も望む方来に変化している。


「本当にこのまま永遠の別れでいいのかな?」とちらと考えました。

本音を言えば、表面的な付き合いだけでも出来るようになれば、という思いがなくなったわけではありませんが、「仕方ない」 が結論です。
彼らが、少しでも私の気持ちや都合を尊重する方向に変化するとは思えませんから。

数年に一度、会食するだけ、とはわけが違います。
彼ら(少なくとも母親)は自分たちの老い先、死後の始末まで丸投げする気です。

わんこの看取りで分かったから。それがどれだけ精神エネルギーを必要とするのか。
大事な相手なら、方向は一つだからいいです。
「結局は自分の為にやっていることだから」と納得できているから頑張れるし、「自分の為がベースにあるとはいえ、他者のために頑張る自分はOKだ」と受け入れられるからいいです。

嫌いな親の為だったら、「ここでひと踏ん張りしないと悪い方に行くだろうけど、面倒くさいからいいや」を何度もやって、「向こうに文句を言う権利はない」という思いと、「ならなんで引き受けたのよ?」という自責と、別の選択(でも、自分が大変)もあったのに悪い方に向かう現実の重みに引き裂かれて、ろくなことにならないでしょう。



正月早々、親子関係の方向性を再確認させられました。
年一度の確認作業は無事に終了したことにして、今後は頭から追い出しておこう。