シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

孤独であるためのレッスン 諸富祥彦著

今、引きこもり主婦の私。意外と楽しく心地よい状態に満足しています。
が、単に世間に出る苦労(主に人間関係)を避けているから楽しいだけなのかも、と思わなくもなく、一人の時間が増えたことで、却って気持ちの整理がつきやすくなっているのも実感中です。
今後の方向探しの一助になれば、と読んでみました。
2001年出版の古い本ですが、内容に違和感は全くなく、参考になりました。

この調子で(?)孤独を突き詰めていこうと思いました。


今でも日本は同調圧力が強く、マジョリティーから外れることを許さない空気がある。そのせいで、孤独を悪いこと、いけないこと、落伍とみなす風潮があり、主流から外れていると自分で感じている人を「自分はだめだ」に追い込んでいる、と著者は言っていますが、そうだな~と思う。
私が子供のころは、フルタイムで働くお母さんは、「子供を犠牲にしていかがなものか」だったのに、今は、説得力ある理由がないのに働いていないと、肩身が狭い。同窓会で、「仕事は?(働いている前提で)」としか聞かれなくて、げんなりした数年前を思い出します。
多数派が変わっただけなのにな…と思う。
少数派でいられること自体が、一つの能力だと思うのですが。


著者は、孤独を物理的に一人でいること、というより、自分自身の声を聞き、それに従って生きること(そのために必要な立ち位置)と捉えていて、同好の士との強いつながりが持てるようになると、自分を超えた世界からの導きの声に従って生きることになっていく、と言っています。

私は、仏教者がよく言う、「(仏さま、あるいは、”大いなるもの”に)生かされていることに気づく。その気付きをとともに生きていく」感覚に近いのかな~と感じました。知識ではなく、自分の実感に根差したものとしての感覚は、残念ながら私にはまだありません。目指したい方向ではありますが。

私は己の声を聴きとれるようになって、その声に従って生きていきたいと思っていますが、実際には、ACな自分がまだまだ幅を利かせていて、自分にアクセスしにくいのもあり、この道の先達と出会いたい、と強く思っています。
出会い方が分からない(笑)
私の感覚では、「自分の人生を引き受けて生きている人」なのですが、私の感受性が鈍いのか、日ごろ人はそういう深い部分の自分を外に出さないせいか、めったに出会えません。
でも、オーラで何となく「この人はそうだ」と分かることもあります。
こういう人がそもそも少ないのか、私が見つけられないだけなのか、知りたい。
こういう人が少ないのだとしたら、多くの人は自分の人生どうとらえて生きているのだろう?却って足元がしっかりせず、不安にならないのかな? その辺も知りたいです。
こういうことは、聞いても、本人にも言語化不能のことが多く、よく分からないのが現状です。

己を磨いて、自分自身と繋がることがもっと簡単にできるようになっていけば、私からもそういうオーラが出るようになって、同じ道を行く仲間が私を見つけてくれるのかもしれません。

私が働くことを通じて人と出会おうという気力が少ないのは、「職場」という”場”では、己の一部しか外に出さないのが通常で、私が知り合いたい人と知り合える確率がかなり低いから=自分が得たいものが得られないからなんだな、とも思いました。
”お金のため”と割り切って踏み出す必要性は感じていますが、余生を投入する価値があるのか、微妙です。