シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

幸せだったかい?

亡きわんこについ聞いてしまいます。

「幸せだったかい?」

夫に言うと怒られます。大事にされてたし、お友達わんこも沢山いたし、いつも幸せそうだったじゃないか、って。わんこへの侮辱だって怒られます。

でもね・・・こういう時もACな自分が顔を出します。

子供の時の自分みたいに、親(飼い主)の顔色伺って、楽しそうにしていただけかもよ?
飼い主は大事にしたって思っていても、わんこがそう感じていたかは別だよ。
わんこも三歳児並みの知能はあるから、「ふり」は出来るしね。

本当はそうじゃないって分かっているのです。

わんこが寝ているからと別の部屋で作業していると、10分もしないうちに迎えに来ました。
特にわんこの体調が悪い時は、「ひとりにしないで」ってこっちを見ていました。
家や病院で色々なことをされても、嫌だっただろうに我慢してくれました。多分、自分に害になることはしないはずだって思ってくれてたんじゃないのかな・・・。

いつも、「わんこは満足してるかな?不安じゃないかな?嫌じゃないかな?楽しいかな?嬉しいかな?」って考えて接していたから、自分は気持ちを無視されて悲しかったから、わんこの気持ちは大事にしようって過ごしたから、わんこは安心して暮らしていたんじゃないかな、って思うのですが、
「幸せだったのかな?」って考えると、曇りガラスの向こうを見ているような心もとない不確かさです。

私は愛とか信頼とか、嬉しい気持ちにつながるものは別世界のもののように感じている部分があります。
自分の存在にOKがある気がしないのと根は同じです。
こういう嬉しい感じを全く知らないないわけじゃないけど、やっぱりどこかで、「自分は見捨てられて惨めな気持ちで野垂れ死にする存在なんだ」という思いがある気がします。

他者の好意は嬉しいけど、自分とは別の世界のもので、曇りガラス越しにぼんやり見えるだけで、手にはできない・・・自分にはふさわしくない?手が届くはずがない?そんな感じ。

こういう不確かさって、人間関係の中に入っていかないと払拭するきっかけにも遭遇できないんだろうな~とは思うのですが、他人が怖いのは確か(目の前にクリアに存在している)なので、思い切れないでぐずぐずしています。

あれだけまっすぐな愛と信頼を向けてくれたわんこにもこんなことを感じている私ですから、人の中に入っていけばどうなるってもんでもないのかも、と思ったりもします。分かりませんけど。

確信があるのは、私はわんこがいてくれて幸せだったということだけです。



わんこ、幸せだったかい?