わんこがいた頃、「わんこにまずまずいい犬生を送らせてあげられたと思えたら、私の人生にも意味があったってことになるかな。」と思っていました。
わんこが旅立って、わんこがどう思っていたかは分かりませんが、まずまずいい犬生だったんじゃないかな、と思えます。細かいことでは、わんこも苦労したし、申し訳なかったな、と思うこともいっぱいですけど。
わんこが療法食を食べてくれのと、幸い薬が効いたのとで、最後まで病気の苦痛は少なかったし、ほとんど苦しまずに旅立てたし、家族の中心として大事にされていたし。
わんこを迎えてから、いつも、「これでわんこは幸せなのかな?満足しているかな?不安だったり、不快だったりしないかな?他に何かできたり、しない方がいいことがあるんじゃないかな?」と自問しながら接していました。
こんな風に、「これでいい?」と気持ちや状態を慮ってもらえたことが(寄り添ってもらえたことが)わんこにとって、”まずまずいい犬生”につながっていたんじゃないかな、と思います。
私自身が、自分の気持ちや満足は不当に軽く扱われて育って、その後遺症が苦しいので、余計そう思うのかもしれませんが。
幸せいっぱいだったかは分かりませんが、悪くはなかったんじゃないのかな・・・。
つい、「これからどうしよう。働いた方がいいのかな、まずは断捨離しっかりやらないと!」と自分にプレッシャーかけてしまいますが、一つやり遂げたから、残りは”余生”くらいの気持ちで、ゆる~く生きていけばいいのかも。