間質性肺炎で、余命数年と宣告された著者が、自分がどんなふうに感じたかなどをつづっています。
「死の前に整えたい気持ちの準備書」(著者談)
私の”死の準備”のイメージは、
・物事の始末
(所持品・遺産・墓などの始末や準備、意思表示。
終末期医療の希望を文書にしておくなど、いわゆる”終活”)
・やり残しを減らす
「これだけはやっておきたいこと」のうち、残された時間・気力・体力の中で出来ることをやる
行きたいところへ行き、食べたいものを食べ、会いたい人に会い、やりたかったこと体験する
・心の準備
必要性は切実に感じるのですが、どうやればいいか分かりません。
著者はどんなふうに心の準備をしたんだろう?と思い読みました。
・死ぬ時どういう過程を辿るのかを知り、不安を減らす。知らないと余計不安になる。
・あがきたくなったらそうするし、相談相手を見つける。
・どんなふうに死にたいか考える。
・偉人の死などに触れ、自分なりの死のイメージを作る。
私が印象に残った著者の心の準備はこんな感じでした。
日頃から、自分もそのうち死ぬから、心の準備をしておきたいな、とたまに思うことがあっても、実際に余命宣告を受けたり、体調変化で「そろそろか」と感じないと、心の準備は本物になっていかないのかな、とも感じました。
私は、人生何があるかわからないとはいえ、今のところは病気などですぐにどうこう、というわけではないので、物事の始末をしつつ、後悔のない人生を歩みつつ・・・かな。
物事の始末は、無責任上等!で行くなら、「あとはよろしく」もありかと思いますが、(自分はある程度やっておきたいですが)
死に際に後悔で身もだえするのは嫌だし、わんこを見送って、後悔が少ないことの安らかさを今体験中なので、「余命○年でもやるの?」と自問しながら選択していこうと思います。