私のための本?? と思い、読みました。
著者は哲学者なので、細かく理屈をこねまくっているのが、何とも私にぴったりでした。
大きなくくりで言えば、私は日々哲学(真理の探究)している人々の端くれらしいぞ、と気付きました。
私が働きたくない理由も分かった気がします。
私は仕事を通じて成功したいとか、出世したいとか、大金を稼ぎたいとか、後世に名を残したいとか、そういう野望がありません。
出来れば人に喜んでもらえる仕事がしたいとは思いますが、それも、「働くなら」の場合で、「人に喜んでもらいたいから働く」ではありません。
それ以上に、不当な扱いを受けたり、自分が60点の仕事をしているのに、「お前の仕事ぶりは30点だ」と極端に低く評価されるのも、給与に影響しなくても嫌です。すごく嫌です。
傷つくのも怖いし、人間関係もいまだに恐いです。
だから、正直、できるだけ世に出たくありません。
私が働くのは、自己実現の一手段や生きがいでなく、単に「お金のため」です。
今は、「お金のため」より、「わんこが心配」、「前職・・・買収した会社の理不尽に疲れた」が大きいので、働きたくない。
単にそれだけ、でした。
この本では、「50歳を過ぎたら・・・」ですが、人生後半、残る大仕事と言えば「死ぬこと」くらいしかないのだから、哲学せずにはいられない人は、哲学すればいいじゃないの、と言っている部分があって、「そうか、食べていけるなら、働かなくていいのね。働きたい自分に違和感感じることないんだ。これが今の私なんだから。」と思えて、楽になりました。
以前から、「死ぬときに、後悔で地団太踏む人生は嫌だ」と思っていました。
「いろいろあったけど、まぁ、悪くなかったかな。できることはやってきたわけだし、これが私の人生だった。」と思えて死ねたら本望です。
そうなるには、日々の忙しさで誤魔化していないで、考えずにいられないことはとことん追求して一つでも納得しながら進んでいくしかない、と思っていましたが、少なくとも著者と同じ考えだったようです。
生活のため(小遣いのためも含めて)に働かなくてはいけなくなったら、理不尽ばかりの世間に飛び込むんだから、理不尽を山ほど経験するのが当たり前、と思って、世に出ていくしかなさそうです。
その理不尽から学ぶこともあるだろう・・・くらいに思えるようになってからでないと、社会復帰できそうにありませんけど。そういう日が来るんだろうか?