シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

手術で取り去ったもの

無事に退院して、日常生活に戻りました。

手術前からひそかに決めていた通り、親のことが心に浮かんでも、強制的に思考ストップして、考えないようにしています。
以前は、「心に浮かぶのは未解決のことがあるからだろう」と思って、ぐるぐるはまっていました。

今回の手術をこんな風に考えることにしました。詭弁なのは承知の上です。

自分はACだ、あれは虐待だったんだ、と気付いてから、子どもの時の見捨てられ体験などを思い出しては、子どもの時に心がキューと縮んだ感覚も繰り返し再体験した。
その”きゅーっと縮んだ心”が、石になってしまった。
この石のせいで、痛い。
自分ではこの痛みも、石も、どうすることも出来ない現実を受け入れて、第三者に助けてもらった(手術で取ってもらった)。私には助けてくれる人もいる。だから今後何かあっても、きっと大丈夫。
だから、もう、痛くないし、大丈夫。
私は、自分の臓器を一つ失うという代償を支払ったのだから、
この上、また石が出来るようなことはしなくていい。 だから、もう親のことは考えない。


と、まぁ、文章にするとこういうことです。
毎年年末に親から送られてきていた食品も今年は来ませんでした。絶縁状態にも慣れていくでしょう。
母親と縁を切ることに罪悪感がうずいていた理由(母親が憑依していただけ)も分かったし、
私があれこれ考えても、状況が好転することはないのは十二分に分かっているので、
この手術を区切りにしたいです。
退院して数日ですが、今のところこの試みは上手くいっています。