シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

主婦の引け目 減少

どうしてもちょっとしか働いていないことに引け目(劣等感?)がありました。

体力ないな~、
人と接するのが苦手だから長時間労働できないな~、
税金使った大学で勉強したのに、社会にあまり還元できてないな~   などなど。

こういう気持ちはかなり減ってはいるものの、気にしているから心に浮かんでくるんだということは分かっています。

今月、私にしてはたっぷり働いて、ちょっとだけスッキリしました

体力・・・昨日の夜のわんこの散歩は夫が行ってくれたので、すごく体が楽でした。
     日ごろは気分転換&運動にちょうどいいわんこの散歩も、8時間超の立ち仕事の後に、
     更に1時間散歩となると話は別で、家事をやるエネルギーは残っていません。
     わんこの散歩がないと、ちょっとなら家事もできるし、そうか、他の人はこういう状態か、
     と妙に納得。   だからと言って、フルタイムで働く元気はありませんが。

働くということ
私が目指しているのは「心の平安」「内面の奥深さ・人柄のよさ」「自分の人生を引き受ける潔さ」。
これと「(沢山)働くかは関係ない」を体験できました。
職場で起こることが、考えを深めるネタになったり、職場が試行錯誤の場になってくれたりはしますが、それは働かなくては得られないものではないです。

それどころか、ガッツリ働くと、目指す方向とは違う方へすすみそうだな、と危険性を感じました。
沢山働くと、その忙しさと疲れで、「自分にとっての人生とは」「自分にとって一番大事なことは何か」なんて答えのないことを考え込む暇もなく、日々が過ぎていきます。
楽といえば楽で、日々やり過ごせなくもない。
 職場にすごく嫌な人はいなくて、そこそこ納得できる労働条件なら、ではありますが・・・。
仕事が大変だからね、と自分にも周りにも言い訳できるので、大事な存在に向ける気持ちが減ってもそのままにしかねません。
仕事は生活の糧を得る手段でもあるので、「働かないと暮らせない」を自分への免罪符に、大事な命題を放置して、死に際に、自分がやり残した宿題に気づくことになるやも。
「(仕事が忙しくて)時間がない」は私が目指す方向に進んでいくには致命的な障害です。
気力・体力がある程度ないと、自分と向き合うのは難しいです。

苦手な職場の人間関係も、(これまたハラスメントする人がいなければ、ですが)、
出勤が少ないと、仕事のない日に思い出して、意味なく悩んだり、怒ったり、不毛な消耗がありますが、毎日出ていると、そんな暇がないので意外と流れていくんだな、を体感した貴重な機会になりました。
これまで気にしすぎていたことも分かったし、沢山働いている人=私よりストレスマネジメントができている人 ではないことも分かりました。


沢山は働けない&働きたくない自分は、劣った人間のように感じることがありますが、
それは、「向き不向きの問題なだけなんだ」を裏付ける体験をまた一つ積むことができた、 
                                              といったところでしょうか。

結局は、「自分にとってちょうどいいバランスが取れているか」なのです。