シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

母なるもの 父なるもの

九州の大雨で死者が出ています。
「親が突然死んだら、”会っておけばよかった” ”話しておけばよかった”と後悔するのかな?」
と頭をよぎりました。
かなり動揺すると思います。でも、最終的には自分の選択に納得するんじゃないのかな。
 
 
大人になってから出会った「嫌な人」は、縁が切れると「私の人生から消えてくれてありがとう」で終わるのに、親はそうはいかないのはなぜだろう。
 これも以前からの疑問。
 
 私が球体だとしたら、大人になってから出会った人に傷つけられても、外側の傷。
 相手と私は別の個体とはっきり分かっているので、相手がいなくなったら嬉しいし、痛くもかゆ くもない。
 
 親は、私という球体が少しずつできていく過程で深く関わった相手なので、私の中に入り込ん でいるんだろうな~。
 追い出そうにも、自分を切り刻んで、痕跡を一つずつ消去しないといけない・・・それをやろうと すると自分が死ぬので出来ない。 こんな感じ?
 
 
先日、虐待被害者も出ている番組を見ました。
「「おかあさ~ん」って思うときがあるけど、それって、血縁の母親じゃなくて、「母なるもの」を求めて言っているんだよね~」
と言っている方がいて、深く納得です。
 
 
親を捨てると考えると気が咎めるけど、自分の中の「やさしく見守ってくれる母のようなもの」とか、「力強く守ってくれる父のようなもの」を捨てる居心地の悪さ、心細さで、あの人たちを捨てる罪悪感じゃないんじゃないか? と自問中です。
 
特に兄が絶縁されてからの親の言動は酷くなるばかりです。
親の底の浅さが目立つばかりで、哀れには思っても、慕わしさは全く湧いてきません。
 
まだ自分でも自分の気持ちは分かりません。
でも、今回も、
 「たとえ今親と永遠の別れになっても、これが自分の親子関係だった、と思えるかな。」
とある程度納得しつつ、絶縁を続けることは自分に再確認でした。