頑張ったことでも、なかなか手放しに「頑張ったよね!」と自分に言ってあげることが出来ません。
毒親の影響だとは分かっていました。
立ち止まって思い返してみると、
・仕事や勉強などは頑張りが認められる。
・趣味や親が興味のないことだと、頑張りが認められない、嘲られる、無視される、 も度々。
今の自分を振り返ると、
パートが忙しくて残業になった。 は、「仕事頑張った」と素直に思える。
わんこの世話や趣味は頑張っても、素直に「よくやった!」と自分に言えない。
家事はいつも、「頑張って入るけどまだまだだ。」になる。
わんこは、「自分が飼いたくて飼ったんだから、大変でも世話して当然。」
趣味は、「好きでやっているんでしょ。」
主に母親の嘲り口調が頭の中に響きます。
母親の価値観を知らないうちに取り込んで、自分を判定し続けてきたようです。
自分でも、家事や仕事以外では好きでやっているんだから認められなくても仕方ない気に なっていました。
違うよね、と思えるようになってきた今日この頃。
母親に思いやりがないだけ~(父親は無関心&全てを嘲るので論外)
母親の理論で行けば、
仕事も結婚も子育ても、どんな状況だったにせよ、自分で引き受けたことなんだから
頑張ったから褒めてほしいとか、辛いから愚痴を聞いて慰めてほしいとか、甘えたおかしな態 度、ってことになります。(母親は何かにつけて愚痴って、慰めさせていたのに)
でも、人間って、ちょっと愚痴ってガス抜きして元気出したり、
ちょっと褒められて、その気になったり、
共感してもらって涙が乾いたり、 そういう生き物なんだと思います。
母親は他者の気持ちを受け止めて、共感する容量がすごく少ないのだと思います。
「私はつらい気持ちを抱えて生きてきたのに、何であんたは共感してもらって、褒めてもらって、心満たされるわけ?」
という思いが、無意識にあるのかもしれません。
(突然子供への虐待が噴出する人には、こういう思いを抱えている人が多いと聞きます。)
私は、社会的には価値のない小さなことでも、褒めてもらったり、気づいてもらったり、共感してもらったりしたいです。
なので、親の呪いは捨てて、どんなことでも自分が頑張れたことは素直に褒めてあげようと思います。