シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

届き物

恒例になっている親からの荷物が届きました。
地元の特産品詰め合わせ 多分1万円分くらい。
 
年末に届くようになった理由が、「父の日・母の日もらいっぱなしだから。」
 
で、父の日・母の日に贈らなくなって2年。 止めてくれていいんですけど。
 
姉との公平性確保の為・・・も本当はいい訳になりません。
孫へのプレゼントはともかく、姉と孫と旅行に行ったりしていますから。
 
 
他の付き合いだと、それまでプレゼント交換していたのに、それが途絶えたら、次はカードだけにする、メールだけにする、何もしない・・・と相手の反応に合わせてフェードアウトするのが「健全な人間関係の距離感」じゃないかと思います。
 
自分は距離を置きたくないけど、相手が離れていく場合は、諦めるか、自分の気持ちを正直に打ち明けるか。 自分が悪かったなら、改める意思を示す。
何も問題がないかのように、相手が離れようとして、行動で示していることを無視して、以前と同じままな態度は不気味・無神経です。
 
でも、毒親はそうなんですよね・・・
子供の気持ちを少しでも尊重して、距離を置きたい相手に合わせるとか、
自分に非があるなら改めると言動で表すとか、そういうことは一切なし。
(それが出来る親なら、こじれないのですが・・・)
子供の気持ちは無視、子供が離れていることも無視。
 
先日読んだ信田さよ子さんの「さよなら、お母さん」にも、母親からの宅急便攻撃に悩む娘達の話が出てきました。
受け取り拒否は波風立つし、受け取ったら、お礼を言わないと文句を言われる。
贈られた物を手元に置いておく気はないが、捨てるのも罪悪感がある。
で、障害者就労施設に寄付している人、その場で捨てる人の例が出ていました。
 
私は、形だけのパソコン印刷のお礼葉書を投函。
お菓子は夫が職場で配るようにし、なまものは夫に食べてもらうことにしました。
 
 
これだけ無視を続けている相手に贈りつける無神経さは、人付き合いのルール違反と言えるでしょう。
それなのに、手間隙お金をかけて贈り物をしてくれた相手を悪く思うことに罪悪感を感じてしまいます。これは親が無意識でプレッシャーをかけようとする戦略じゃないか?とまで勘ぐってしまいます。
 
 
親の意図はどうでもいいのです。
これまでの積み重なる暴言・私の気持ちを無視した態度をこれっぽっちの「金で済ます誠意」で許す必要はないのですから。
仲直りを意図した贈り物ですらありませんけど・・・。
(言動を改めることもなく、ちょっとした金品で済ませられるなら、私でも多くの過ちをお金で済まそうとするでしょう。それが出来ないから、人間関係は難しいのです。)
 
向うに押し付けるように送り付ける自由があるなら、「親の気遣い」などないかのごとく、さらっと流す自由が私にあるはずです。
 
 
クリスマス気分が損なわれたな~ とがっくり来ると同時に、
あの人たちの私の気持ちを無視したやり口はやっぱり私の誤解じゃない! と自分のこれまでの思索の結果に自信を持つ出来事でした。